道観塚

【どうかんづか】

かつて一ノ井の里に道観長者と呼ばれる者がいた。近隣に広大な田畑を持つ長者であったが、強欲で領民を苦しめながら贅沢に耽っていた。

ある時、突然長男が急な病で亡くなると、立て続けに家族が死んでしまった。その悲惨な死を目の当たりにした長者は、ようやく仏心に目覚めた。しかし時既に遅く、長者自身も死の床にあった。そこで長者は遺言として、再建される東大寺に私有地を寄進し、二月堂でおこなわれる修二会に使われる大松明を欠かさず調進することとしたのである。

東大寺のお水取りのクライマックスとも言える大松明は、現在でも途切れることなく、この一ノ井の里から調進されている。大松明は近所にある極楽寺に集められ、道観の墓とも言われる道観塚の前で調進の報告と供養がおこなわれた後、3月12日(お水取りの日)に東大寺に運ばれる。昔は片道30km以上の道のりを歩いて運んだという。運ばれた大松明は二月堂に安置され、翌年のお水取りで使用されることとなる。

<用語解説>
◆修二会
天平勝宝4年(752年)から中断されることなくおこなわれている、東大寺の行事。二月堂の本尊である十一面観音へ日常に犯す罪を懺悔する。3月12日が若狭井から汲み上げた水を本尊にお供えする「お水取り」であるが、修二会そのものは1日より13日まで毎日執り行われる。一ノ井の里から運ばれた大松明は12日から使われる。

◆東大寺再建
東大寺が再建されたのは2回。治承4年(1181年)平重衡による焼き討ち、永禄10年(1567年)松永久秀による兵火によって焼失した後に為されている。道観長者の伝承における東大寺再建は最初の方であり、建久元年(1190年)に大仏殿落慶法要が営まれているので、その頃以来約800年、欠かさず調進がおこなわれていると考えられる。

アクセス:三重県名張市赤目町一ノ井