禅師河童

【ぜんじかっぱ】

秋芳洞へ通じる土産物屋の通りに変わったオブジェがある。一人の僧侶を取り巻くように数体の河童がいる銅像である。これがこの地域に伝わる「禅師河童」を顕彰する像である。

正平9年(1354年)、この地方を大干魃が襲った。水がなくなり田畑は枯れてしまった。この災害に、自住寺の寿円禅師は21日間の雨乞祈願を発願し、瀧穴(現在の秋芳洞)に籠もった。

一方、この瀧穴にある龍が淵に住む河童がいた。この河童も大干魃には勝てず、川で魚が捕れなくなり、とうとう殺生禁断の自住寺の放生池の鯉を一匹失敬してしまったのである。その直後から、住職の寿円禅師が瀧穴に籠もって祈祷を始めたので、河童は鯉を捕ったことを咎めて呪いを掛けているものと勘違いをした。そこで寿円禅師の祈祷の邪魔をするが、禅師は一向に相手にしない。そのうち河童はその一心さに心打たれ、自ら仏弟子と称して禅師の手伝いをするようになった。

そして満願の日、禅師の祈りが通じたのか、朝から一天かき曇り大雨となった。瀧穴の中で激しい雨音を聞き取った禅師は大願成就を悟ると、自らの命を天に捧げるために龍が淵の激流に身を投げたのであった。それを見て驚いたのは河童である。禅師を助けようと淵に飛び込んだが、急な大雨で激流となった川で禅師を流さないように守るだけで精一杯。そしてもがいているうちに二つの影は濁流の吞まれていった。

そして数日後。自住寺近くの川で、村人は寿円禅師の遺体を見つけた。そしてそのそばには河童の死体もあったが、村人が禅師の遺体を引き揚げるのを見届けると、安心したかのようにそのまま川下へ流れていったという。村人は河童の行いを知るに至り、禅師河童と名付けてその徳を称え、厚く弔ったという。

寿円禅師の遺体は荼毘に付され、その遺骨と灰を土に練り込んで禅師の姿を模した塑像(遺灰像)が造られた。現在、この像は秋芳洞入り口のそばにある開山堂の中に安置されている。

アクセス:山口県美祢市秋芳町秋吉