秀林寺 猫塚

【しゅうりんじ ねこづか】

「鍋島の化け猫騒動」といえば有名な怪談話であるが、この舞台となったのが、白石の秀屋形(現・佐賀農業高校辺り)である。秀林寺はこのすぐそばにある寺院であり、そこに化け猫騒動の後日談となる猫塚が残されている。

龍造寺家の怨念を晴らそうとした化け猫を退治したのは、千布本右衛門(ちぶ もとえもん)であるが、化け猫の祟りはその千布家に向けられるようになった。即ち、代々男子が育たず、他家から養子を取って家名を絶やさないようにしていたのである。本右衛門より7代目にあたる当主が、この状況を化け猫の祟りと考え、七つ尾の猫の掛け軸を菩提寺である秀林寺に納め、この猫の供養としたところ、それ以降男子に恵まれるようになったという。さらに明治になって、この七つ尾の猫を彫った祠を作り、猫大明神として祀ったのである。(それ以前にも、化け猫の死体を埋めた場所に猫大明神の祠があったらしい)

<用語解説>
◆鍋島の化け猫騒動
初代藩主・鍋島勝茂が、かつての主筋であった龍造寺又一郎を碁の勝負の諍いで斬り殺し、御家再興が果たせなくなった老母も自害する。その両人の血を吸った飼い猫が化け猫となって、龍造寺家の怨みを晴らそうとする。勝茂が病の床に就き、その子は急死、さらに佐賀の町に怪異が続くことになる。家臣は寝ずの番をして怪異の原因を探るが、いつの間にか眠ってしまう。その中で、千布本右衛門は足に短刀を刺して眠気を払い、ついに勝茂の側室であるお豊の方が化け猫の化身であることを見破り、槍で突き殺した。これによって怪異は収まった……

◆鍋島家と龍造寺家
元は龍造寺家が主家であり、鍋島家はその宿老の家柄であった。しかし戦国時代末期に領土拡張を図った龍造寺隆信が戦死、跡継ぎの政家が病弱のために鍋島直茂が実権を握った。その後、豊臣秀吉・徳川家康共に鍋島家を実質の統治者とみなし、龍造寺家は形式上の領主としていた。慶長12年(1607年)に政家の嫡男・高房は現状を悲観して自殺を図り、その後に死亡。政家もその直後に病死して龍造寺家本家は絶える。そして家臣団は、直茂の嫡男である鍋島勝茂を後継者と決め、最終的に肥前鍋島藩が成立する。龍造寺家には高房の弟と嫡男があったが、御家再興は果たせなかった。
この複雑な主従関係が背景となって、鍋島の化け猫騒動は生まれてきたと言える。

アクセス:佐賀県杵島郡白石町福田