吉備津神社

【きびつじんじゃ】

備後一之宮として崇敬を集める。土地の人々は親しみを込めて「一宮さん(いっきゅうさん)」と呼び慣わす。

大同元年(806年)に吉備国が備前・備中・備後の3国に分けられた時に、吉備国一の宮であった吉備津神社を勧請して創建されたものとされる。祭神は、吉備国を平定して治めた吉備津彦命を主祭神として、孝霊天皇(吉備津彦命の父)、細媛命(孝霊天皇皇后、実母ではない)、稚武彦命(吉備津彦命の弟)が祀られている。

数多い摂社・末社の中に、櫻山神社がある。祭神は桜山茲俊、他二十三柱。桜山茲俊は、後醍醐天皇の笠置山挙兵、楠木正成の赤坂城挙兵に呼応して、吉備津神社近くの桜山城で挙兵し、瞬く間に備後半国を手中に収める。しかし近畿での挙兵が失敗に終わるとの報によって兵力は四散。元弘2年(1332年)に吉備津神社に立て籠もると、妻子を刺殺し、社殿に火をかけて郎党23名と共に自刃した。明治になって南朝の忠臣として評価され、吉備津神社の境内に櫻山神社が創建されたのである。

<用語解説>
◆桜山茲俊
?-1332。『太平記』にのみ、その名前が残る。後醍醐天皇・楠木正成に呼応して挙兵した者があるのは確かのようであるが、それが“桜山茲俊”であったかは、疑問視する向きもある。

アクセス:広島県福山市新市町宮内