養老神社

【ようろうじんじゃ】

平城京に都が移って間もない頃、この地に源丞内という若者が住んでいた。山で薪を拾って米や食べ物と交換する貧しい生活をしていたが、年老いた父親を養いながら慎ましやかに暮らしていた。父親は病気がちでほとんど目が見えず、唯一の楽しみは夜に飲むわずかの酒であった。丞内はわずかの稼ぎから酒を工面して手に入れて父親に飲ませていた。

ある時、丞内は山に入って滝のそばで一服していると、もののはずみで足を取られ滑り落ちてしまい、気を失った。夜になって気付くと、何やら良い香りがする。父親が飲む酒によく似た匂いである。辺りを見回すと泉があり、そこから匂いが漂っているようなので、丞内が湧き水を手ですくって飲むと、まさしく酒であった。驚いた丞内はそれを瓢に詰めると家に帰り父に飲ませた。話を聞いて半信半疑だった父も一口飲むと、それが上等の酒であると気付いた。こうして丞内親子は今までよりずっと楽しく暮らせるようになった。

さらに驚くべきことに、毎日酒をたしなんでいるうちに父親は目に見えて元気になり、目もすっかり見えるようになった。そしてそれを知った村人にも丞内は泉の在処を教えたので、村中の者が病気一つなく、元気に暮らせるようになったのである。

その噂は平城京にまで伝わり、時の元正天皇は自らの目で確かめようと、この地まで行幸された。天皇はこの泉の水を飲んで奇瑞を認め、さらに丞内の孝行を讃え、元号を「老いを養う」という意味で養老と改めることを宣言し、丞内をこの地の長(あるいは美濃の国司)となることを命じたのであった。

現在養老公園と呼ばれる一帯には、養老の滝を始めとする伝承地が残されている。その一角にあるのが養老神社で、源丞内が創建したものとされる。その拝殿の横には菊水泉と呼ばれる湧水がある。これが源丞内が見つけた酒の湧き出る泉とされ、一説では元正天皇行幸の折に菊の香が漂ったことからその名がつけられたともされる。現在でも「日本の名水百選」に選ばれる名水である。

<用語解説>
◆元正天皇
680-748。第44代天皇。母の元明天皇に代わって即位。在位は715-724。次代聖武天皇の中継ぎ的役目で皇位に就いたとされるが、譲位後も聖武天皇の補佐をしていたとも推測される。なお養老公園には「元正天皇行幸遺跡」が残されている。

◆元号の養老
717-724の期間。次の元号は神亀で、聖武天皇即位と同時に白い亀が見つかったことから改元された。

アクセス:岐阜県養老郡養老町養老公園