伏姫籠穴

【ふせひめろうけつ】

曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』は全くの創作であるが、実在する土地の名や人物を話の中で用いているために、あたかも史実に基づいた伝承のような印象を与える。この富山(とみさん)も、フィクションから生み出された伝承地である。

滝田城主・里見義実は、飢饉に乗じて攻めてきた安西氏の前に落城寸前まで追い詰められた。義実はふと飼い犬の八房に「敵大将の首を取ってきたら、娘の伏姫を嫁にやろう」と戯れに告げた。それに応じるように実際に八房が大将首を取ってきてさかんに伏姫に執心し始めると、義実は困り果ててしまう。娘の伏せ姫は君主の言葉を覆すことは叶わないと父を説き伏せ、ついに八房を伴って富山(とやま)へ籠もってしまうのである。

富山の洞窟に籠もった伏姫は読経を続け、八房と交わることを拒んだ。そして1年が過ぎ、姫は山中で仙童と出会い、かつて父・義実が滝田城を落とした際に助命から一転斬首した玉梓の怨念が八房に取り憑いたためにこのような事態になったこと、姫の読経の功徳によってその怨念は消えてしまったこと、しかしながら八房の気が既に姫の胎内に宿ってしまったことを聞き及ぶ。

ちょうどその時、お忍びで義実が、また八房を退治すべく忠臣・金碗大輔が富山に来ていた。大輔が放った鉄砲で八房は死んだが、同時に伏姫も傷つき、二人の目の前で懐妊していない証を立てるために腹を切ったのである。すると腹から発した光と共に、首に掛けていた数珠にあった8つの大玉が飛び散っていったのである。

現在、富山には“伏姫籠穴”という場所がある。たまたまそれらしき洞穴があったために、誰言うことなく「伏姫が籠もっていた場所」とされたのであろう。ただその施設の充実ぶりは目を見張るものがあり、登山口(ここに「犬塚」と刻まれた石碑があるが、おそらく八房を慰霊するものであろう)から豪華な門が建ち、自然に溶け込むように整備された遊歩道が目的地まで続いている。途中には8つの玉をあしらった休憩所があったり、至れり尽くせり。そして肝心の籠穴の前には固く閉ざされた門があって、しっかりと籠穴の中を確かめることが難しくなっている。全体的にはちょっとした森林浴が出来る散歩コースという印象であった。ある意味『八犬伝』ファンの“聖地”と言あるだろう。

<用語解説>
◆曲亭馬琴
1767-1848。姓は滝沢。江戸後期の読本作者。旗本家の用人の家に生まれるが、作家となり生計を立てる。著作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』など多数。

◆『南総里見八犬伝』
曲亭馬琴作。文化11年(1814年)刊行。以降28年間にわたって執筆が続けられた(途中馬琴は失明し、嫡男の嫁である路が口述筆記によって完成)。全98巻。里見家の伏姫と犬の八房の因縁によって結ばれた8人の若者(八犬士)を主人公として繰り広げられる伝奇小説。

◆里見義実
1412-1488。安房里見氏の初代。安房国に進出して戦国大名となるが、それまでの出自などについては諸説あって謎が多い(架空の人物説まである)。『南総里見八犬伝』の重要人物であり、全ての因縁の発端を作った人物である。

アクセス:千葉県南房総市富山