如意の渡し

【にょいのわたし】

高岡市伏木はかつて越中国の国府が置かれた土地である。後に小矢部川の河口付近で海運も盛んになった。この河口には、昔から如意の渡しと呼ばれた渡し船があった(平成21年に廃止)。

兄の頼朝から追われる身となった源義経一行は、奥州への逃避行の際に、この伏木から渡し船に乗ろうとした。ところが、舟守の平権守は義経主従ではないかと疑念を持ち尋問をした。それに対して弁慶はとっさに「この者は白山から連れてきた御坊であり、義経と間違われるのは心外である」と言うと、扇で散々義経を打ち据えたのである。これによって権守の疑念は晴れ、無事に対岸へ渡ることが出来たという。

この逸話は『義経記』に記されているが、いつしか安宅の関での話とされるようになり、歌舞伎の『勧進帳』や謡曲の『安宅』の創作によって、この地で起こった逸話であることがますます忘れ去られてしまった感がある。

現在、渡し船が運航されていた場所には、義経を打ち据える弁慶の像だけが残されている。

<用語解説>
◆『義経記』
室町時代初期に成立したとされる。源義経の生涯を描いた作品であるが、多分に創作的伝承で彩られているため、史料的価値は低いとされている。

◆安宅の関
石川県小松市にある史跡。加賀国守護の富樫氏が設けた関所とされる。
歌舞伎『勧進帳』では、関守の富樫泰家が義経一行を見咎めるが、弁慶が機転を利かせて偽の勧進帳(ここでは東大寺再建のための資材を集める趣意書)を読み上げ、さらに疑念を晴らすために義経を金剛杖で打ち据える。富樫は義経主従であることに気付いているが、その心情を慮ってわざと見逃すという展開となる。

アクセス:富山県高岡市伏木