見性寺 狢塚
【けんしょうじ むじなづか】
亀有駅から少し離れたところに見性寺がある。この境内の片隅に“狢塚”と彫られた石碑がある。
亀有付近を常磐線が走り始めた頃。当時は1時間に1本の汽車が走る程度の、人家もまばらな田園地帯であったという。そのうち不思議な噂が広まった。夜になると汽車の本数が増えるというのである。しかし、線路脇に狢の死骸が見つかってから、ぱったりとそのような不思議なことが起こらなくなった。そのため村人は、おそらく狢が汽車に化けて線路を走っていたから本数が増えたのであり、たまたま本物の汽車に撥ねられて死んでしまったのだろう、と考えた。そこで見性寺の住職が憐れに思って、塚を建てたのだという。
現在の石碑は、昭和28年(1953年)に作られたもので、当時あったとされる塚の所在などは定かではないという。
<用語解説>
◆常磐線
東京の日暮里から宮城県の岩沼までを繋ぐ路線。この近辺の路線は明治29年(1896年)の暮れに開通。亀有駅は翌年に開業している。よって、この狢塚の伝承は明治30年代前半頃に起こったものであると推定される。
◆偽汽車
狐狸の類が汽車に化けて何らかの怪異を引き起こす伝説を「偽汽車」の話と総称している。伝説の流布は、鉄道開業直後(松谷みよ子氏の『現代民話考』によると、御雇い外国人運転手から日本人運転手へ切り替えられた明治13年頃)から始まっているとされる。概して狸(狢)が化けて、汽車に撥ねられて死ぬという話の方が多い。夜間に線路上を移動していた狐狸の轢死体を見た人々の想像力の産物ではないかと考えられる。
アクセス:東京都葛飾区亀有