猫の踊り場

【ねこのおどりば】

昔、戸塚宿に水本屋という醤油屋があった。主人夫婦と一人娘の家族3人と、奉公人の番頭と丁稚が住んでいた。そして娘が雌の黒猫の“トラ”を飼っていた。

醤油の付いた手を拭くので、毎日晩になると5人分の手ぬぐいを洗って干しておくのが、この家の習慣であった。ところがある時、丁稚の手ぬぐいがなくなり、翌日には主人のものもなくなった。主人は丁稚がわざとなくしたのだと思って問い詰めたが、埒が開かない。一方、丁稚はいわれのないことで怒られ、泥棒の正体を暴いてやろうと夜なべして見張った。すると夜中に手ぬぐいが地を這うように走って行くのを見たが、結局正体は分からなかった。

翌日、主人は用事で隣町へ行ったその帰りの夜道で、不思議な光景に出くわす。人気のない空き地で、手ぬぐいをかぶった何匹かの猫が人語で会話しているのである。月明かりの下、猫たちは踊りの師匠を待っている様子。そこへ来たのが、手ぬぐいをかぶった黒猫、まさしく飼っている“トラ”である。しかも“トラ”は、晩御飯に熱いおじやを食べて舌を火傷して満足に喋れないとぼやきつつ、踊りの手ほどきを始めた。腑に落ちた主人は,店に戻ると内儀に猫の晩御飯を尋ねると、案の定熱いおじやであった。

翌日の晩、家族と店の者を連れて主人は、昨日の空き地へ行った。隠れて待っていると、やがて手ぬぐいをかぶった猫が集まりだし、そして“トラ”が音頭を取って踊りを始めた。不思議な光景であったが、全員が得心がいったようにその場を離れた。

それ以降、戸塚宿では猫が踊る光景を見に行く人がぽつぽつ現れた。しかし見られていることに気付いたのか、そのうち猫が空き地で踊りをすることはなくなってしまった。そして“トラ”もいつの間にか水本屋からいなくなってしまったという。

横浜市営地下鉄戸塚駅の次の駅は「踊場」駅という。ここが、猫たちが踊りをしていた空き地のあった場所であると言われている。当然、駅名の由来はこの伝説であり、駅構内には猫をモチーフとした意匠が数多く見られる。そして2番出口の脇には、「踊場の碑」と言われる石碑がある。案内板には“猫の霊をなぐさめ、住民の安泰を祈願して”とあり、元文2年(1737年)に建てられたとされる。今でも猫の置物が供えられており、猫供養のための碑と言えるだろう。さらにこの石碑から見て、交差点の斜め向かいとなる場所に交番があるが、この場所が実際に猫が踊りをしていた空き地の跡であるということ。

<用語解説>
◆戸塚宿
東海道五十三次の5番目の宿場。江戸から早朝出発するとちょうど宿を取る時間帯に到着できる場所として、慶長9年(1604年)に宿場町として開けた。ちなみに伝説に登場する水本屋は現存しない。

◆「猫の踊り場」伝説
細部は異なるが、これとほぼ同じパターンの伝説が、戸塚以外にも静岡県函南町、同富士市などに残されている。人間に飼われているうちに特殊な能力を持つようになった化け猫の、1つの典型的なパターンであると考えてもよいだろう。

アクセス:神奈川県横浜市泉区中田南