吉田八幡神社 三浦杉
【よしだはちまんじんじゃ みうらすぎ】
旧・美和村にあり、あと数km西へ行けば栃木県との県境となるような場所にある神社である。創建は大同2年(807年)という古社で、山の斜面を階段で上っていった先に社殿がある。周辺はよく手入れがなされた杉の大木が生えているが、中でも拝殿近くにある2本の杉は一際大きなものである。それが“三浦杉”と呼ばれる巨木である。
“三浦杉”は樹齢800年以上とされ、樹高は58mにもなる。この杉の名の由来には、次のような伝説が残されている。
久寿2年(1155年)、勅命を受けて那須野に逃げ込んだ金毛九尾狐を退治すべく、相模から三浦大介義明主従がこの地を通りがかった。するとちょうど八幡宮があったので、大願成就を祈願して奈須野に向かった。
しかし妖術に長けた妖狐には力業だけでは太刀打ちできず、討ち取ることが出来ない。やむなく一旦退却した義明は再度八幡宮に祈願。すると今度は八幡神から妖狐を討ち取るための神託が下った。義明はその策を以て妖狐を追い詰めると、見事射殺すことが出来たのである。そして無事に勅命を果たした義明は、その帰途に八幡宮に立ち寄ると、境内に2本の杉の木を植えた。これが今の“三浦杉”となる。
この2本の杉は長らく“鎌倉杉”と呼ばれていた。それを“三浦杉”と改名したのは徳川光圀である。元禄8年(1695年)、当時隠居であった光圀は神社整理の一環として“八幡潰し”を積極的におこなっっており、美和にあったこの八幡宮も“吉田神社”に改名するよう進めた。その流れからか、この杉が三浦大介のお手植えであることを聞くと“三浦杉”に改めさせたという。
この神社が再び“八幡”の名を冠するのは、昭和12年(1937年)のこと。氏子の熱心な要望が叶ってのことである。

<用語解説>
◆三浦大介義明
1092-1180。三浦一族の棟梁であり、世襲の三浦介を名乗った。長年源氏に仕え、源頼朝が挙兵した時もいち早く源氏に与した。しかし緒戦で平家方に居城を攻撃され、一族を逃がした後に自害。享年89歳。
金毛九尾狐退治はあくまで伝説であるが、この追討に参加したとされる三浦介(三浦義明)・千葉介(千葉常胤)・上総介(上総広常)はいずれも関東有数の武士団を率いて源氏に与した武将である。
◆徳川光圀
1628-1701。水戸藩2代藩主。『大日本史』編纂などの修史事業、神仏分離などの宗教政策、那須国碑などの文化財保護といった文化事業に功績を残す。これらの事業で藩内巡見をおこない、また全国各地に家臣を派遣するなどしたことから、いわゆる「水戸黄門漫遊記」というフィクションが誕生したと考えられる。
アクセス:茨城県常陸大宮市小田野

