落合の道祖神

【おちあいのどうそしん】

道祖神は、村などの集落の境あたりに置かれ、疫病といった災厄が集落に入ってこないよう祀られた、村の守り神である。当然、村の繁栄すなわち子孫繁栄を願う対象ともなり、近世以降は路傍に置かれているために旅などの交通安全の神としても信仰の対象となっている。このようにさまざまな性格が合わさった神であるが故に、その姿も多種多様である。

子孫繁栄の神としての性格を帯びた道祖神は、言うまでもなく性的シンボルをかたどった姿をしている。有名なところでは、男性器の形をしたものである。それ以外では男女が並んでいる姿を彫ったもの、中にはまさに男女が交合している姿をストレートに彫ったものもある。「宝暦十年(1760年)辰極月吉日 中原村中」と刻まれ、榛名神社への参拝路の途上にある落合の道祖神は、まさしくその男女が顔を近づけて抱擁し合いながら交合する姿を表したタイプの道祖神としてつとに有名である。そして『日本の伝説』によると、この道祖神が祀られるようになったいきさつには、ある悲しい伝説があるという。

中原のお大尽であった甚兵衛には、大助という一人息子があった。ところがこの大助は何度も嫁を貰うのだが、相性が良くないせいか、すぐに里に帰ってしまうの繰り返しであった。そして7人目の嫁となったのが、おせんであった。おせんは大助を何度も誘い、ついに二人は契りを結んだのである。ところがその段になって、おせんの本当の身元が判った。実はおせんは甚兵衛が里子に出した娘、つまり大助にとっておせんは実の妹だったのである。それを知ってしまった二人はいずこともなく姿を消し、二度と中原に戻ることなかった。甚兵衛は二人が亡くなったものとしてその霊を慰めるため、さらには二度と同じ過ちを繰り返さないために、男女和合の姿を刻んだ道祖神を造ったのである。

アクセス:群馬県高崎市倉渕町三ノ倉