湧ヶ淵
【わきがふち】
奥道後温泉・ホテル奥道後(現:奥道後 壱湯の守)の敷地の一部となっている場所に湧ヶ淵はある。石手川の上流にある、奇岩の多い美しい渓谷である。ここには大蛇にまつわる伝承が残されている。
この湧ヶ淵には雌雄の大蛇が棲みついており、近隣の住民を多くの災いをもたらしていた。そこで石手寺の僧が一人、石剣で雄の大蛇の首を切り落として退治したという。今でも石手寺には、その時の石剣と大蛇の頭骨が残されており、宝物館で見ることが出来る。頭骨の大きさはおおよそ成猫ぐらいのものであり、大蛇であるとは明確に言えるが、近隣住民が命を落とすような災厄をもたらすほどの大蛇であるかと言われると、少々口を濁してしまうところである。石剣についても、大蛇を退治する実戦的な武器であるかは疑問が残る。
しかしこの大蛇の伝説は、それでは終わらない。生き残った雌の大蛇もまた人に害をなすものとして登場する。元和年間(1615-1623)に夜な夜な美女に化けて、通行する者をたぶらかして淵に引きずり込むようになったのである。そこで湯山菊ヶ森城主・三好長門の長男である蔵人秀勝が鉄砲で撃ち殺したという。別説によると、雌の大蛇は、人間の姿で三好家の下女となっていたが、夜な夜な湧ヶ淵へ忍んで行ったところを怪しまれて殺されたとも言われる。
こちらの雌蛇の頭骨は三好家に代々伝えられてきたが、現在では同じホテルの敷地内にある竜姫宮に祀られているとのこと。大蛇伝説としても夫婦の蛇が害をなす点が非常に珍しく、また実際に頭骨が残されるなど物証もある点も希少であると言えるだろう。
<用語解説>
◆石手寺
四国八十八箇所霊場の51番札所。寺名の由来は、河野氏に生まれた子供が生まれつき握っていた石を奉納した、衛門三郎の再生伝説に基づく。古刹であるが、マントラ洞といったかなりあやしいスポットも多数存在する。
◆三好長門
三好長門守秀吉。伊予の戦国大名・河野氏の家臣。この湧ヶ淵周辺も所領としていたとされる。主家である河野氏が滅亡すると、中国地方などで浪人をしていたが、その後、旧領に帰住して代々庄屋の家柄となったとされる(大蛇退治の頃には既に帰農していたのではないだろうか)。阿波の三好家とは類縁ではないが、祖先は同じではないかと推測されている。
アクセス:愛媛県松山市末町