【あまごぜのはか】 寿永4年(1185年)、平家は壇ノ浦の合戦において敗れるが、
【みなせじんぐう】 元々は後鳥羽上皇の離宮があった場所に建立された。
【きたやまじゅうはちけんと】 東西に38メートルの長さを持つ建物である。
【ねんぶついし】 京都と奈良の県境、旧国道に面した場所に3つのお堂が並んである。
【はんがんもり】 平泉から直線距離にして約30km足らず。
【かんのんじ】 気仙沼の港を見下ろす高台にある古刹である。
【あまづか】 あま塚は、鳴門の海岸近くの路地裏にひっそりとある。
【あかまじんぐう】 寿永4年(1185年)3月24日、権勢を誇った平家一門は壇ノ浦に滅亡し、
【どうかんづか】 かつて一ノ井の里に道観長者と呼ばれる者がいた。
【のまだいぼう】 正式な名前は「大御堂寺(おおみどうじ)」であるが、野間大坊の名の方がことのほか有名である。