御髪神社
【みかみじんじゃ】
日本で唯一の髪の神社という御髪神社は、昭和36年(1961年)に京都市の理美容業界関係者によって創建された新しい神社である。祭神は藤原采女亮政之、髪結職の祖とされる人物である。御利益は言うまでもなく,髪の毛に関するものであり、理美容関係者の崇敬は篤い。また願い事をしながら切った髪の毛を献納する祈祷があり、境内には髪の毛を納めるための髪塚もある。
藤原政之の父・基晴は亀山天皇に仕える北面の武士であったが、宝刀・九龍丸の紛失事件の責任を取って職を辞し、政之を伴って宝刀探索の旅に出る。その頃蒙古の襲来に備えて多くの武士が長門国下関に集結しており、刀の手掛かりを求めてその地に赴いた。そこで生計を立てるために、新羅人から習ったのが髪結いの技術。下関に本邦初の髪結所を開いて、客を取りだしたのである。やがて父の基晴は亡くなるが、遺志を継いだ政之は宝刀の所在を見つけて朝廷に奉還。そして後に鎌倉へ赴き、京風の髪結職として鎌倉幕府に仕えたという。
京都は政之にとっては故郷であるが、髪結職としては縁が薄い場所である。ただ御髪神社がある場所のすぐそばには、亀山天皇の火葬地である亀山公園があり、この縁で神社創建がなされたという。
<用語解説>
◆藤原政之
?-1335。下関での店構えには特徴があり、亀山天皇と祖先の藤原氏を祀る祭壇があって“床の間のある店”と呼ばれるようになり、いつしかそれが“床屋”の名称となったとされる。そのため下関には「床屋発祥の地」の碑が建てられている。その後、弘安元年(1281年)に鎌倉へ赴いたとされ、その時期には宝刀を朝廷に納めていると考えられる。
◆亀山天皇
1249-1305。第90代天皇。在位は1260-1274。在位中より元のフビライより度々国書が送られており、上皇となってから起こった元寇の際には“敵国降伏”の祈願を伊勢神宮などでおこなう。
アクセス:京都市右京区嵯峨小倉山田淵山町