長安寺
【ちょうあんじ】
真宗大谷派の寺院であり、この地域では指折りの古刹である。平安時代末期に気仙郡司一族の正善坊によって開基され、室町時代前半に浄土真宗に改宗したとされる。戦国時代に全伽藍が焼失し、その後再建された。
真正面にある山門は、高さが約20mもあり、それだけでもこの寺院の勢力を推し量ることが出来るだろう。しかしよく見ると、この山門は上部の壮麗さに比べて、何となく下部が貧弱に見える。実は、この山門は未完成であり、このような状態でそのままになっているのには、珍妙な曰く因縁がある。
この山門が再建されたのは、寛政10年(1798年)のこと。ところが、当時この地を支配していた仙台・伊達藩では建築物にケヤキ材を使用することは御法度であり、にもかかわらず、この山門は総ケヤキ造りであったために大問題となったのである。藩は禁制であるが故にこの山門を取り壊すように命じた。それに対して住職は、これは仏殿であるので取り壊せないと突っぱね、最終的には取り壊しを免れた。しかしながら、これ以上の工事はおこなわないことが暗黙の条件であったため、山門は未完成のまま工事を中止。藩も黙認という形で決着したのである。
結局、山門は扉もなく、袖塀もないまま、現在に至っているのである。
アクセス:岩手県大船渡市日頃市町長安寺