丈六寺

【じょうろくじ】

創建は白雉元年(650年)、徳島県でも一番の古刹とされる。このような由緒ある寺院であるため、室町時代に阿波国守護であった細川氏をはじめ、江戸時代の阿波藩主蜂須賀家など、阿波国の支配者にゆかりの人物の墓も多くある。その中にあって一際有名なのが、徳雲院の血天井である。

戦国時代末期、阿波国南部にある牛岐城を拠点に勢力を持っていたのが新開実綱(道善入道)であった。古くからの土豪であり、阿波国守護の細川氏に仕え、さらにそれに代わって実権を握った三好氏と縁戚を結ぶなどして、国内でも有力な武将となっていた。しかし土佐の長宗我部元親が阿波に侵攻してくると次第に形勢不利となり、天正8年(1580年)に長宗我部の軍門に降った。

そして天正10年(1582年)、長宗我部軍として戦功のあった道善入道に、論功行賞の話と称して丈六寺へ赴くよう要請があった。供回りの者と共に到着すると、話もそこそこに早速酒宴が始まった。加増の打診を受けて、気を許した入道は大いに飲んで酔いつぶれた。そして宴が終わりを告げる頃武装した一団が現れると、入道以下新開家の家臣全員を斬り殺したのである。

道善入道が殺された理由は、長宗我部家へ降った後も旧主の三好家とよしみを通じていたため裏切りを疑われたとも、国内有数の勢力を持っていた入道に対して後難を怖れた長宗我部家が始末したとも言われる。いずれにせよ騙し討ちに遭った入道らの血はいくら洗い清めようとしても落ちることはなく、結局、天井板にすることで供養の意向を示すことになったのである。

血天井は徳雲院の堂内ではなく回廊部分にあるため、ほとんど雨ざらしに近い状態で置かれている。しかしその血にまみれた手形や足跡は、今なおくっきりと天井に残されている。

アクセス:徳島県徳島市丈六町