男水門

【おのみなと】

神武東征の折、4人兄弟のうち末弟と共に東征に加わったのは、長兄の五瀬命(いつせのみこと)である。しかし、浪速国の白肩津に上陸するとすぐに長髄彦の軍勢と戦い、五瀬命は長髄彦の放った矢によって肘を負傷、東征軍も一旦海上に退却することとなってしまった。

そこで五瀬命は「我々は日の神の御子なので、日に向かい、東に向かって戦うのはよくない。日を背にして、西から戦いをしよう」と言い、浪速津から紀国へ、南の方へと船を動かした。しかし五瀬命の矢傷は酷くなり、紀国に上陸すると、とうとう亡くなってしまったのである。最期の時を迎える際、五瀬命は「卑しい者の放った矢の傷で死ぬのか」と雄叫びを上げたという。そのため、この上陸地を男水門(おのみなと)と名付けたのである。そして亡骸は竃山に葬られたのである。

和歌山市内に、この男水門の比定地がある。水門吹上神社の境内に神武天皇男水門顕彰碑が建っている。この水門吹上神社の由緒は、五瀬命とは特に関連なく、海上に光るものがあり、波に打ち上げられるとそれが戎像であったので祀ったのが始まりとしている。

<用語解説>
◆男水門の比定地
和歌山市に近い、大阪府泉南市にある男神社(おのじんじゃ)も「おたけびの宮」として、比定地とされている。

アクセス:和歌山県和歌山市小野町