/ 最終更新日時 : shioduka@tatsuma 京都府下 平重衡首洗い池・不成柿 【たいらのしげひらくびあらいいけ・ならずがき】 平重衡は平清盛の5男で器量ある将として一門を支えていたが、一の谷の戦いで生け捕りとなり鎌倉へ送られた。
/ 最終更新日時 : shioduka@tatsuma 岩手 安倍館稲荷神社/貞任宗任神社 【あべたていなりじんじゃ/さだとうむねとうじんじゃ】 俘囚の豪族であった安倍氏と源頼義・義家父子が戦った前九年の役は康平5年(1062年)に終結する。
/ 最終更新日時 : shioduka@tatsuma 和歌山 専光寺 血槍洗いの手水鉢 【せんこうじ ちやりあらいのちょうずばち】 戦国時代の紀伊国には有力な大名がおらず、中小の領主や大寺院が割拠していた。その中で現在の和歌山市周辺を根城にしていたのが、鉄砲傭兵集団として名を馳せた雑賀衆である。しかし雑賀衆 […]
/ 最終更新日時 : shioduka@tatsuma 佐賀 瑞巌寺 旗本百人腹切り場所 【ずいがんじ はたもとひゃくにんはらきりばしょ】 「岸岳末孫(きしだけばっそん)」という言葉が、唐津市を中心に松浦郡一帯で広く流布している。