茂林寺

【もりんじ】

茂林寺の開山は大林正通(だいりん しょうつう)であり、応永33年(1426年)に館林に小庵を建て、応仁2年(1468年)に正通に深く帰依した赤井正光が現在の地に堂宇を建立したのが始まりである。その正通が館林を訪れた時に、一人の僧を伴っていた。諸国行脚の旅の途中、伊香保で出会ったとされる守鶴和尚である。守鶴はその後も代々の茂林寺住職によく仕えることとなる。

元亀元年(1570年)、茂林寺で千人法会がおこなわれることとなり、大勢の来客のために湯釜が必要となった。すると守鶴はどこからか1つの茶釜を持参してきた。その茶釜はいくら湯を汲んでも尽きることがなかったという。守鶴はこの茶釜を「分福茶釜」と呼び、この茶釜の湯を飲むと8つの福が授かるとしたのである。(現在も茶釜は残されており、観覧可能)

守鶴はその後も寺に仕えていたが、ある時、つい居眠りをした折に尻尾を出してその正体を晒してしまった。守鶴は数千年を生きた狸だったのである。正体がばれてしまったため守鶴は寺を去ることとし、別れの際に、源平合戦の屋島の戦いを再現して見せたという。正道禅師に従って館林に移り住んで161年、天正15年(1587年)のことであった。茂林寺では守鶴を鎮守として崇敬し、守鶴堂を建てて祀っている。

この守鶴の伝説は、松浦静山の『甲子夜話』に残されているが、この伝説を元に作られたおとぎ話が「ぶんぶく茶釜」である。ある男が助けた狸が恩返しに茶釜に化けて、寺の住職に売られていくが、火に掛けられて逃げ出す。今度は綱渡りをする茶釜として見世物小屋を開いて成功し、男は裕福となり、また狸も幸せに暮らしという話。

アクセス:群馬県館林市堀江町