服部天神宮

【はっとりてんじんぐう】

菅原道真の伝承地にある神社であるが、その創建はさらに遡る。「服部」の地名で判るように、この地は渡来人の秦氏が集団で居住した場所であり、その頃には医薬の神である少彦名命を祀る祠があったとされている。これが服部天神宮の前身である。

時を経て延暦2年(783年)、川辺左大臣と呼ばれた藤原魚名は大宰府へ左遷となって下向する途中、この地で病に倒れ亡くなった。そして少彦名命を祀る祠のそばに、魚名の墓が建てられたのである。

それから約100年後の延喜元年(901年)、やはり大宰府へ左遷の身となった菅原道真がこの地を通りがかった時、持病の脚気に襲われて身動きが取れなくなった。里人の勧めで少彦名命の祠に祈願し、併せて魚名の墓である五輪塔にも祈願したところ、脚気はたちどころに治り、無事に太宰府に到着できたのである。

その後、少彦名命を祀る祠に菅原道真も祭神として名を連ね、服部天神宮として大いに栄えたという。特に菅原道真の伝説~「足の神様」として有名であり、現在でも草鞋を奉納して祈願する人が絶えないという。また道真と奇縁で結ばれた形の藤原魚名の墓も境内に安置されている。

<用語解説>
◆少彦名命
大国主命の国造りの際に来訪した、小さな神。国造りの協力神であり、医薬の神、温泉の神、まじないの神など様々な側面を持つ神である。この神社にある「天神」の名称は、少彦名命によるものである。

◆藤原魚名
721-783。藤原北家(藤原房前の息子)。左大臣まで昇進するが、突如解任され、大宰府へ左遷となった。桓武天皇即位直後に起きた、氷上川継の乱(天智天皇の血筋である桓武に対して、天武天皇の系統に繋がる川継が謀反を企てた事件)に連座したものと言われている。

アクセス:大阪府豊中市服部元町