羅漢寺
【らかんじ】
大化元年(645年)にインドより来た法道仙人を開基とするが、延元2年(1337年)に円龕昭覚が十六羅漢を祀ったのが本格的な始まりである。山の中腹の岩壁にはめ込まれるようにして寺院が建ち、そこにある多くの洞窟内に数多くの羅漢像などの石像が安置されている。
境内に置かれている龍の石像には不思議な伝承が残されている。この地域を治めた大友宗麟はキリシタン信仰の証として、領内の寺社を破却した。当然、この羅漢寺にも兵を送り込んだのであるが、この時、龍の目から光線が発せられて、兵は退散して焼き討ちを免れたと言われる。
またかつては鬼のミイラが保管されていたが、昭和18年(1943年)の本堂火災によって焼失している。
<用語解説>
◆法道仙人
推古天皇治世の頃に朝鮮から渡ってきた、道教の道士と考えられる。日本へやってくる時に牛頭天王と共に来たとされ、その牛頭天王は広峰神社から八坂神社へと祀られているものとされる。また播磨国一帯の複数寺院の開基に名を残している。
◆大友宗麟
1530-1587。豊後の戦国大名。宗麟は法号であり、キリスト教の洗礼名はドン・フランシスコ。最大で北九州一帯を支配下に治める勢力を持ったが、自身の宗教問題や毛利・龍造寺・島津の台頭などで勢力を失う。その窮状を豊臣秀吉に訴え、九州征伐がおこなわれた。
アクセス:大分県中津市本耶馬渓町