夜泣きの白拍子さん

【よなきのしらびょうしさん】

神戸電鉄粟生線の市場駅を降り、駅そばの踏切を東へ行ったところにぽつんと1本の大木が立っている。周囲は田畑なので非常によく目立つ。その大木の根元あたりに小さな祠があるが、これを地元の人は“夜泣きの白拍子さん”と呼んでいる。

寿永3年(1184年)、兵庫の福原や須磨のあたりで一ノ谷の合戦がおこなわれ、平氏が惨敗する。戦場から退却した平氏の武者は、海上に逃れる者、街道沿いに逃れる者、とにかく本拠のある西へと敗走していった。

ある平家の公達も陸路をたどって西へ落ちていったといわれ、それを追って一人の白拍子が市場の地を訪ねてきた。しかし公達の行方は知れず、恋する人を追ってきた白拍子は気落ちしたのか、この地で病を得て逗留せざるを得ない身となってしまった。愛しい人に会えない悲しさから、白拍子は昼夜を問わず泣き続けるしかなかった。しかも日増しに病状は悪くなり、村人の手厚い介抱も虚しく、ついにこの地で亡くなってしまう。その最期の時に白拍子は「皆さんの親切に感謝し、今後、夜泣きで苦しむ子供があれば、治してあげましょう」と言い残した。

村人は白拍子の遺体を木の下に埋め、そこに小さな祠を建てた。それから夜泣きをする子供を連れてここを参ると必ず治ると言われ、夜泣きの神様として信仰を受けている。

<用語解説>
◆白拍子
今様を謡いながら、水干・立烏帽子・佩刀という男装で舞った遊女。総じて教養も高く、貴人の愛妾になるなど、身分は低いものの歴史的に名を残す者もあった。特に源平の合戦に時代は、平清盛の愛妾・祇王や仏御前、源義経の愛妾・静御前など著名な白拍子があった。

アクセス:兵庫県小野市池尻町