虚無僧墓

【こむそうはか】

天保年間(1830~1844年)、小野の里に一人の虚無僧が住み着いた。素性が知れない上に、この虚無僧は尺八を吹いているか、それ以外は酒を飲んでばかりという噂が流れ、里の者は要注意人物として見ていたようである。ところが、ある時村の娘が賊に襲われた際に、それを助け出したのが件の虚無僧であったことから、ようやく怪しい者ではないと里人も思い始め、少しずつ交流がなされたようである。

そして弘化3年(1846年)9月15日、朝から調子の悪そうだった虚無僧は突然河原へ走り出すと、近くにあった大岩に二度三度と自ら思い切り頭を打ちつけたのである。その場で昏倒する虚無僧を助けようと里人が近寄ると、僅かばかり息を吹き返した虚無僧が「自分は脳の病気で皆の者に何もしてやることが出来なかった。もし墓を建てて酒を供えてくれるのであれば、首から上の病を和らげてあげよう」と言い残し、そのまま亡くなった。この時になって里人はこの虚無僧が激しい頭痛を和らげるために常に酒を飲んでいたことを知り、墓を建てて供養することにしたのである。

大正時代に県道に面した現在のお堂に安置された虚無僧の墓には、今でも県内外から多くの参拝者が訪れ、頭痛を始めとする頭の病平癒の祈願をおこなっている。またお堂のそばには「供養塚」の銘板がはめ込まれた大岩があるが、もしかするとこれが虚無僧が頭を打ちつけた岩であるかもしれない。

アクセス:山口県下関市川棚中小野