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足摺七不思議

【あしずりななふしぎ】

足摺岬は四国の南西端にある岬である。この奇妙な岬の名の由来についてはいくつかの説があるが、いずれもこの足摺の地にある四国八十八ヶ所霊場の第38番札所である金剛福寺に関係するものである。

最初にこの地に寺院を建立したのは弘法大師空海である。有縁の地を求めるため、空海が唐より帰朝する船から投げた五鈷杵(金剛杵)がこの地に飛来。それを探しに来た空海が、難路のために足を引きずって辿り着いたという。

時代を経て、金峯上人が金剛福寺の住職であった頃。修行の邪魔に来る天魔を呪法で封じたところ、天魔たちは大いに嘆き悲しみ、地団駄を踏んだ(足摺りをした)ことから“足摺”の名が起こったとも。さらには『とはずがたり』巻5第4話にある、補陀落渡海を弟子の小僧に先んじられてしまった法師(賀東上人)が地団駄を踏んで嘆いたという故事から来ているとも言われる。

この足摺岬は今や四国指折りの観光地であり、金剛福寺から足摺岬灯台までのエリアには遊歩道が整備されており、小一時間ほど散策できる。そのエリアにあるのが“足摺七不思議”と呼ばれる、奇妙な来歴を持つ自然物である。“七不思議”とされているが、実施にはそれよりもはるかに数は多く、全部で21箇所あると言われる。そしてそれらの多くは弘法大師ゆかりの伝説が残されている。

1,大師の爪書き石
弘法大師が大岩に爪で「南無阿弥陀仏」の名号を彫ったとされる。(中央右側、縦に白い模様のあるあたり)

2.大師一夜建立ならずの華表(とりい)
弘法大師が一夜で鳥居を造ろうとしたが、天邪鬼が鶏の鳴き真似をしたため、そのまま放置したものとされる。

3.不動岩と亀呼場
弘法大師が崖下にある不動岩に波切不動を彫り、海上安全を祈祷するため、亀を呼んで岩に渡った。今でも海に向かって亀を呼ぶと、弘法大師が呼んでいるものと思って浮かび上がってくる。

4.ゆるぎ石
弘法大師が金剛福寺建立の際に発見したとされる。親孝行者が揺らすと大石の上にある積み石が落ちるが、親不孝者が揺らしても落ちない。親の肩を揉むようにゆっくりと揺らすと大きく揺れるためであるとされる。

5,地獄の穴
この穴に銭を落とすと、しばらくチリンチリンと銭が落ちていく音がして、先祖の供養になるとされている。この穴は金剛福寺にまで通じていると言われたが、今では途中で塞がってしまっている。

6.不増不減の手水鉢
弟子の日円上人に先に補陀落渡海をされてしまった賀東上人が、この岩の上に身を投げ出して悲しみの涙を流した。その涙が不増不減の水となって残っていると言われる。

7.犬塚
生まれ変わって城の主となって世の平和をもたらすことを願った僧が、補陀洛渡海の際に右手に南無阿弥陀仏の文字を書いて出立。飼っていた犬は飼い主を待ち続け、この場で息絶えてしまった。
その後、土佐2代藩主・山内忠義の右手に墨痕のような痣があり、この故事を知った忠義は自らを僧の生まれ変わりと想い、金剛福寺再興をおこなっている。

8.亀石
亀の姿に似た岩。その首にあたる部分は、亀呼場の方角に向いている。男女が撫でると性が強くルとの俗信がある。

9.根(寝)笹
このあたりに生える笹は、これ以上の高さを越えて伸びないと言われている。

10.汐の干満手水鉢
潮の干満に合わせて、岩の窪みにある水の量が増減するとされる。

<用語解説>
◆『とはずがたり』
鎌倉時代後半期に書かれた、後深草院二条という女性によって書かれたとされる全5巻の日記・紀行文。前半は、宮中での男女間を中心とした日記、後半は尼となって全国を行脚する紀行文となっている。ただ後深草院二条という女性の実在に疑問が残るため、虚構の文学である可能性も高い。

◆補陀落渡海
南方海上にあるという観音浄土(補陀落)へ小舟に一人乗って旅立つ、一種の即身成仏の苦行。和歌山県の那智勝浦にある補陀落寺が有名であるが、金剛福寺も補陀落渡海信仰が長く続いた寺院である。

◆山内忠義
1592-1665。土佐藩2代藩主。山内一豊の甥にあたるが、養嗣子となり藩を継ぐ。野中兼山を起用して、藩政改革をおこなう。

◆その他の“七不思議”
上に挙げた10箇所以外にも、「竜の駒」「行の岩」「鐘の石」「阿字石」「亀呼石」「天灯松」「龍灯松」「龍の遊び場」「汐吹の穴」「午時の雨」「喰わずの芋」がある。

アクセス:高知県土佐清水市足摺岬

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