【おうむせき】
その昔この一帯を治めていた渥美太夫重国という者があった。ある時近くの山へ狩りに出掛けた折、高根山の渓谷で一人の娘と出会い、その美貌とたたずまいに一目惚れした重国はそのまま屋敷に連れ帰った。娘は八重寿と名を改めるとすぐに重国の妻となり、やがて一人の姫を産んだ。姫は玉栄と名付けられ、母によく似た美しい娘に成長した。そして玉栄が17歳になると、重国は婿に主馬之助という若者を選び、ゆくゆくは後継ぎにすることも決めた。全ては順風満帆であった。
その年の暮れ。父と娘が観音詣でに出掛けている最中、隙を見て狼藉者が屋敷に押し入って金を無心するという事件が起こった。その時屋敷にいたのは八重寿一人だけであったため、急を聞いて重国は単騎屋敷に引き返した。奥の間に駆けつけると、狼藉者は頭を打ち砕かれて倒れており、そのそばにはぐったりした様子で大蛇がとぐろを巻いていたのである。思わず重国が声を上げると、ハッとしたように大蛇は動き出し、みるみるうちに人の形になった。それは妻の八重寿であった。八重寿は涙ながらに、自分の正体は高根山の大蛇であり、母蛇が亡くなって悄然としたところを重国が声を掛け、情をほだされて契りを結んだことと告白した。そして正体を知られたからには最早人間の世界におれないと、重国の制止を振り切って姿を消したのである。その時、八重寿は愛用の横笛を娘の玉栄への形見として置いていったのである。
こうして八重寿は屋敷を去ったが、その正体については堅く口外を禁じていたにもかかわらず、早々に周囲の噂となった。憐れであったのは、八重寿の娘として生まれた玉栄であった。あれだけ足繁く屋敷に通っていた許嫁の主馬之助は、噂が広まると途端に文すら寄越さなくなった。玉栄が会いに行っても居留守を使われ、やがて他の女と深い仲になったとの話が耳に届いた。一目だけでもと思い続けた玉栄の願いは虚しいものとなった。
母の形見の横笛を携えると、玉栄は一人当てもなく彷徨い歩いた。やがて山の中に入り大きな岩を見つけると、その上に座り笛を奏でた。そして吹き終わると、笛を喉にあてがい岩から飛び降りて果てたのである。
それから間もなく主馬之助は婚礼を挙げたが、100日もしないうちに夫婦揃って奇病に冒されて死んだ。人々は玉栄の祟りであると噂した。さらに玉栄が自害した岩の近くで遊ぶ子供らが「声が跳ね返ってくる」と言って怖がるようになった。人々が確かめると、岩に声や音がこだまするようになっていた。しかし玉栄の怨念が岩に籠もっているためか、ただ笛の音だけは決して跳ね返ることはなかったとされる。
整備された山道をしばらく登っていくと、やがて突き当たりに高さ15m幅15mほどの巨石が立ち塞がっている。声がこだますることから鸚鵡石と名付けられたこの巨石の上には、江戸末期に造られた玉栄の碑とされる供養塔があるとのことである。
<用語解説>
◆渥美太夫重国
渥美氏の家祖とされる人物。天平5年(733年)に三河国で飢饉が起こって餓死者が多数出た際、屋敷の蔵を開放して民を救ったこと。さらに“菊本”という名の娘が采女として光明皇后のそば近くに仕えたことにより郡司となり、“渥美太夫”と呼ばれたとされる(これが渥美郡の名称の有力な由来とも言われる)。また鸚鵡石近くにある泉福寺は、重国の発願で行基が開いたとの伝承も残る。おそらく奈良時代よりも前からこの地を治めていた豪族であり、古代律令制度の中で中央と結びついて勢力を伸ばした一族であると考えられる。
アクセス:愛知県田原市伊川津町