【しっぺいたろうのはか】
【猿神退治】と呼ばれる伝説の類型で最も有名なものの一つに「悉平太郎」の物語がある。
今から700年ほど昔、遠江国にある見付天神の祭礼では、乙女を人身御供として神に差し出すという行事が続けられていた。ある回国巡礼の僧が不憫に思って秘密を探ると、恐ろしげな神が「信濃の悉平太郎」なるものを非常に怖れていることが分かり、僧は早速信濃へ赴いて悉平太郎を探した。そして遂に見つけ出したのが、信濃駒ヶ根の光前寺の飼い犬悉平太郎である。僧は事情を話してこの犬を連れ帰り、見付天神の祭礼の時に乙女の代わりに櫃に収めた。その夜、境内では獣が死闘を繰り広げる声が明け方まで響き渡り、陽が昇った頃に村人が行くと、大きな狒々が噛み殺されており、悉平太郎も近くで倒れていた。
この伝説は、人身御供の祭礼がおこなわれていた見付天神に残されているだけでなく、この勇敢な犬の生誕地である光前寺にも残されている(光前寺では悉平太郎ではなく“早太郎”の名で伝承されている)。直線距離にして約150km離れた2つの地に同じ物語が伝えられていることになる。
しかしこの2つの地に残された伝説は、その結末がやや異なる。即ち悉平太郎(早太郎)の最期である。見付天神では、悉平太郎は手当の甲斐もなく当地で亡くなったため、その遺骸を葬って霊犬神社を建立したとされる。一方光前寺では、早太郎は狒々との戦いで大怪我を負ったものの生き残り、自力で光前寺まで戻ってくると住職の手の中で息を引き取ったことになる。実際光前寺境内には“早太郎の墓”と呼ばれるものが残されている。
ところが、悉平太郎の終焉の地として残される伝承地が、この2箇所以外に残されている。見付天神のある磐田市の西隣・浜松市を起点として北上する国道152号線。道なりに2時間ほど車を走らせると県境の旧水窪町に辿り着き、ここで国道が途切れる不通区間である青崩峠に差し掛かる。この峠の少し手前にある足神神社のそばに悉平太郎の墓と称する祠が残される。今では車がなければ辿り着けないような場所にあるが、周辺はよく整備されていて、現在でも慰霊に訪れる人はそれなりにある様子だった。
この地域に残る伝説では、悉平太郎は狒々を退治すると、致命傷を負いながらも故郷の光前寺へ帰還しようとした。そして信濃国へ抜けるべく青崩峠を越えようとしたが、その手前で力尽きて亡くなったため、この地に葬ったとされる。
<用語解説>
◆【猿神退治】の伝説
上記で紹介した静岡・長野の“悉平太郎(早太郎)”の伝説以外にも全国各地に「人身御供を要求する猿(または狢など)の化け物を犬(また人間)が退治する」伝説が残されている。有名なところでは、美作国一之宮中山神社に残る伝説、山形県鶴岡市の“めっけ犬”や天童市の“べんべこ太郎”の伝説がある。
◆青崩峠
静岡・長野県境にある標高約1100mの峠。国道152号線の不通区間として有名であるが、地盤が脆弱で頻繁に崖崩れが発生する危険のある場所であるため国道建設は断念されている。
かつては信濃と遠江を結ぶ主要な街道とされ、秋葉神社への参拝路であったことから“秋葉街道”と呼ばれ、塩の交易の重要なルートとしても活用された。また軍事的にも重要な道とされ、武田信玄が遠江へ侵攻するために利用した、大坂の陣の残党狩りのために関所が設けられるなどの歴史もある。現在では相当な僻地のイメージだが、かつてはかなりの人の往来もあり、この墓も多くの人の目に触れる機会があったものと考えられる。
アクセス:静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家