【みつけてんじん/れいけんじんじゃ】
正式名称は矢奈比売神社。創立などは明確ではないが、延喜式内社に列する古社である。祭神は矢奈比売命と菅原道真。菅原道真が祭神となったのは正暦4年(993年)のことであり、東日本では一番早く勧請されたとされる。この神社には“猿神退治”の伝承である「悉平太郎」にまつわる話が残されている。
正和年間(1312~1317年)の頃、この見付の地をある旅の僧が通りがかった。ちょうど祭のさなかであったが、そのような賑やかさは全くなく、むしろ集落全体が悲しみに包まれていた。不審に思った僧は集落の者に訳を尋ねると、毎年この祭の時に一人の娘を生贄として見付天神の神に捧げることで集落の安寧を図っているのだという。しかし僧はそのような残虐な神はいないと確信、その生贄を求めるものの正体を探ろうとした。
その夜、境内に現れたものは恐ろしい妖怪変化たちであった。それらは「今晩のことは信濃の悉平太郎に知らせるな」と口々に言う。それを聞いた僧は、“信濃の悉平太郎”を見つけて、妖怪退治をすることを決心したのである。
信濃のに赴いた僧は方々を探したが“悉平太郎”という者はいなかった。そしてもうすぐ祭が始まろうとする頃になって、ようやく悉平太郎が駒ヶ根の光前寺で飼われている犬の名であることを知る。早速寺へ行って訳を話して悉平太郎を借り受けると、急ぎ見付に戻った。
祭の夜、娘の代わりに悉平太郎を棺の中に入れると、いつものように境内にそれを置き帰った。夜半になって神社の方から凄まじい物音と犬の鳴き声と何とも言えない悲鳴のような唸り声がしてきた。人々は生きた心地もしないまま夜を明かした。獣の鳴き声は夜が明けると共に静かになっていった。
日が昇りきったのを見計らって、人々は神社へやって来た。そこには多くの狒々が転がっており、とりわけ巨大な年老いた狒々は喉笛を噛み切られて絶命していた。そして悉平太郎も数多くの手傷を負って、息も絶え絶えの様子でうずくまっていたのであった。
こうして見事に狒々を退治した悉平太郎であるが、その後については3つの話に分かれる。傷を負った悉平太郎であるが、それを押して故郷の光前寺まで戻り、そこで力尽きて死んだという説。また、故郷に戻る途中、国境の地で死んでしまったという説。そして、狒々退治で既に致命傷を負っていて、手当の甲斐なく神社の境内で亡くなったという説がある。
現在、見付天神の境内に隣接するつつじ公園内には、霊犬悉平太郎を祀る霊犬神社が建立されている。日本で唯一犬を祀る神社であるという。
<用語解説>
◆猿神退治
全国各地に残されている伝承。生娘を人身御供にするよう強要する神に対して、僧や猟師が犬を使ってそれを退治するが、その正体は年老いた巨大な狒々(猿)であったというパターンで語られる。この“悉平太郎”の話はその最も有名な物語である。
◆光前寺
長野県駒ヶ根市にある古刹。この寺院でも遠江国見付にいた狒々を退治した犬の話が残されているが、その犬の名前は“早太郎(疾風太郎)”となっている。
アクセス:静岡県磐田市見付