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きく地蔵尊

【きくじぞうそん】

日本有数の茶所である牧ノ原台地の北にある、西光寺の小さな境内の端に、かなり新しい地蔵が一体建立されている。台座に「きく地蔵尊」と刻まれたこの地蔵がこの地に建てられたのには、次のような悲話があるとされる。

かつてこの地は人家もまばらで茶畑もなく、原野や雑木林が広がるだけの平坦な土地であった。そこを通る一本道を毎夜のように金谷宿へ向かう女のあやかしが現れるようになった。頭から長い白布を被って足早に進む姿から幽霊ではないかと言われ、夜にその道を通る者は絶えてしまった。

ある夜、男達が酒を飲み交わしながらその幽霊の噂を談じていると、一人の男が酔いに任せて幽霊退治をしてやると言い出した。男はその足で幽霊の出る道へ行って暫く待つと、やがて長い白布を翻してあやかしが北へ向かって駆けて来る。男は意を決し、すれ違いざまあやかしに一太刀浴びせたのである。

肉を斬る手応えがあり、あやかしはその場に倒れ込んで動かなくなった。男はあやかしの正体を確かめようと、顔に掛かった布を取り払って息を呑んだ。女の顔に見覚えがあった。それは近くに住む“狂恋のお菊”という女だった。お菊は金谷宿で男に騙されて奇矯な振る舞いが酷くなり、狂女のように扱われていた。かつての男に会いたい一心でおそらく夜の道を彷徨い歩き、その姿を幽霊と見間違われていたのであった。

哀れな女は丁重に葬られたが、それでもなお障りがあったため、地蔵が建立されたという。そしてこの狂女が通ったことから、辺りの地名は“布引原”となったとされる。

<用語解説>
◆牧之原の茶産業
牧之原で茶が生産されるようになったのは比較的新しいことで、明治になってから。駿府に入った徳川慶喜に随行した“新番組”が、職を失った後に帰農して開拓したことから始まる。

◆金谷宿
東海道五十三宿の24番目の宿場町。東に大井川、西に小夜の中山(中山峠)という街道筋でも有名な難所がある。特に長雨による大井川の川止めの時期には大いに賑わったという。

アクセス:静岡県牧之原市嶋

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