【りゅうおうじ】
創建は和銅3年(710年)。元明天皇の勅願により行基が開いたとされる。当初の寺名は「雪野寺」、通称は野寺といった。その後、寛弘4年(1007年)に一条天皇が“龍寿鐘殿”の勅額を下賜したのを機に「龍王寺」の名に改めた。
勅額は、この寺にある鐘の霊験のあらたかさを噂に聞いた天皇が下賜したとされる。現在は国の重要文化財に指定されている鐘であり、美術工芸品としても貴重なものであるが、その霊験は“水”にまつわるものが多い。例えば、本堂が火事になった時に鐘が水を噴き出した、雨乞いをすると必ず雨が降るなどの話が残っていう。そして今でも、この鐘の竜頭(鐘を梁につるす釣り手の部分)を露出させると大雨になるとして、雨乞いの儀式以外では常に白布で覆っているのである、
寺伝によると、この鐘は宝亀8年(777年)に小野時兼が寄進したこととなっている。そしてこの鐘の由来には、次のような伝説が残されている。
大和国の人であった小野時兼はこの川守の地に住むようになった。ある時、美和姫という美しい女性が現れ、妻に迎える、そして3年が経ち、美和姫は自分が近くにある平木の御沢の主であると正体を明かす。そして形見として玉手箱を時兼に渡す。しかし妻恋しさ故に、時兼は御沢の池に毎日足を運び、とうとう99日目になった時、池の中から大蛇の姿に化身した妻と再会したのであった。大蛇となった妻を見て恐ろしくなった時兼は、家に帰ると貰った玉手箱を開ける。するとそこから紫雲と共に龍が刻まれた梵鐘が出てきたため、それを寺に寄進したのである。
<用語解説>
◆平木の御沢
現在この地には御沢神社があり、大蛇の伝説が残されている。また名水の湧き出る池としても有名である。
アクセス:滋賀県蒲生郡竜王町川守