【ごりょうじんじゃ つばきひめでんせつ】
県道346号線を四万十市側から進み、三原村に入ってすぐのところ、峠の近くに御霊神社の案内板がある。小さな祠があるだけだが、戦国時代の悲しい伝説が残る。
三原村一帯は、この地域でも有力な国侍の敷地氏が治めていた。領主の敷地民部少輔藤安は一条氏に早くから仕えて功を成してきた老臣であったが、一人の美しい娘がいた。名を椿姫といった。
藤安は、同じ一条氏の有力家臣であった入野但馬守に椿姫を嫁がせる旨の約束をしていたのであるが、それと並行するように、主人である一条房冬の側室として椿姫を差し出す旨の約束をしていた。その事実を知った但馬守は激怒し、兵を率いて敷地領へと攻め込んだのである。
椿姫は、但馬守が攻め込んでくることを聞き、そしてその戦いの原因が自分自身の存在であると知ると、戦いを避けるために犠牲になることを決めた。姫は桶に入ると、そのまま生き埋めにするよう告げ、自らの命を絶ったのである。姫が生き埋めとなった場所が、今の御霊神社であるとされる。
また一説では、入野但馬守が椿姫を娶りたいと申し入れていたにもかかわらず、敷地民部が一条房冬の妻にしてしまったため、但馬守が敷地領に攻め入った。実家の危急を聞いて戻ってきた椿姫であったが、その途中で城が落ちて、民部以下ことごとく討ち果たされたことを聞き及び、その場で自害して果てたという。その場所が今の御霊神社となったともされている。
この祠は村人によって建立され、姫を偲んで紅や白粉を供えて祀っているといわれる。また祠の下には「卍」と刻まれた礎石が埋められているとされる。
<用語解説>
◆敷地藤安
1469-1540。土佐一条氏2代目・房家に仕え、戦国大名としての一条氏を支えた。また3代目・房冬の傅役ともなっている。史実としては、娘を房冬の側室としたが、それによって他の家臣の妬みを買って讒言され、房冬から自害を命ぜられて没している。
アクセス:高知県幡多郡三原村狼内