【みかめじんじゃ】
源平の昔、ある嵐の翌日、浜辺に三本の瓶子、一振りの剣、一張の鼓が無数の蜷に担がれるようにして漂着していた。この光景に村人はこれらが神からの賜り物であるとみなし、浜の近くに祠を建ててこれらを祀り“三瓶神社”と呼んだという。
ところがこれらの漂着物を祀るようになってから、近くを通りがかる白帆の船ばかりが転覆する事故が相次ぐようになった。村人は奇異に感じて様々に思案した挙げ句、これらの漂着物が壇ノ浦に散った平氏の遺品であり、源氏の旗と同じ白色の帆を見かけると怨みのために船を転覆させるのだと結論付けたのである。そこで村人が採ったのは、三本の瓶子を海の見えない場所へ遷すことであった。こうして浜から数km山間に入った現在地へ瓶子のみ遷して新たに社殿を建てて祀ったのである。
この不思議な漂着物が打ち上げられた浜一帯は三瓶町と呼ばれ、合併して西予市となった今でもその地名は残されている。なお瓶子と共に打ち上げられた剣と鼓もそれぞれ現在も残されているという。剣は明浜町俵津へ宇都宮氏が移り住んだ際に持ち出され、その後異変があったため“蜷切丸”の銘で明浜町高山の賀茂神社に納められたとされる。また鼓は打つと三瓶湾一帯に鳴り響くことから“高音の鼓”と呼ばれ、三瓶町の祠に残された後に合祀された国造神社の社宝となっているとのこと。
アクセス:愛媛県西予市宇和町岩木