【いわふねじんじゃ】
村上市を含む岩船郡の総鎮守とされ、この土地の名称の由来でもある。大化4年(648年)にこの付近に磐舟柵が築かれた時には既に祠があり、“磐舟”の名も一帯で呼称されていた地名から採られたものと考えられている。
主祭神は饒速日命。記紀の中でも「天磐船に乗って降臨」した神として登場するが、岩船神社でも同じようにこの地に磐船に乗って上陸してきたとされ、航海・漁業を始め数多くの技術をもたらした神とされる。
さらにこの辺りでは、この神について以下のような伝説も残されている。
ある冬の夜、沖から石船が近づいてくると、中には神々しく異様な人が乗っていた。その人は船を乗り捨て、藤の蔓に掴まって上陸すると、ある一軒の家を訪ねて泊めてくれるよう頼んだ。しかしその家は鮭を酢に漬けるのに忙しいため無視してしまった。その人はさらにもう一軒の家を訪ねると、妻がお産間近であったが、快くもてなしてくれた。
翌朝、海は晴れ渡り多くの村人が漁に出たが、その人は「今日は不漁である」と言った。果たしてどの船も魚が捕れずに戻ってきた。
さらに翌朝、海が荒れていたため多くの者は漁に出なかったが、その人は「今日は豊漁である」と言い、それを信じて漁に出た船は全て大漁であった。
ここにきて村の者は、どこからかやって来た異様な人の言を信じ、さらに漁の出来を的中させたため、神ではないかと思って丁重に扱った。その人は漁業だけではなく、農業や養蚕などの技術について的確に教え、人々はますます崇敬の念を持った。
やがてその人がこの村を去る時が訪れ、これから後も村人は漁の出来を知りたいと願い出ると、その人は山上の観音を拝すべきと答えた。そしていつの間にか村からいなくなっていたという。この山上の観音があった場所が、現在の岩船神社の社地である。
この来訪神のような性格を帯びた神であるが、岩船神社ではこの伝説に従って、人々は鮭の酢漬けを作らず、また神社にとって穢れとみなすお産を厭わない風習が続いているという。
<用語解説>
◆磐舟柵
大化4年(648年)に設置された、蝦夷に備えるために設けられた前線基地。現在の岩船地方に造られたとされるが、正確な位置は不明。
◆饒速日命
記紀によると、瓊瓊杵尊の天孫降臨に先立って天磐船に乗って畿内に降り立った。その後長髄彦の義弟となっていたが、神武東征において最終的に長髄彦に対して反旗を翻し、神武天皇に味方した。物部氏の祖先でもある。
岩船神社の祭神が饒速日命である理由として、蘇我氏と聖徳太子によって587年に滅ばされた物部一族が蝦夷地へ落ち延びる際に立ち寄ったためではないかとの説があるが、根拠に乏しい。
アクセス:新潟県村上市岩船三日市