【さだきょういし】
安心院町の中心街の北東にある米神山は標高475mの山だが、古来より“神宿る山”とされてきた。その山の南西側の麓にあるのが佐田京石である。
長さ約2~3mの柱状の石が全部で9本。対のようにして立つものが2組計4本、独立して立つものが3本、そして倒れた状態のものが2本という構成で、おおよそ円形になるように人工的に配置されている。本来はもう1本あって10本で構成されていたと推測されているが、環状にに立ち並ぶ巨石を眺めていると、やはりストーンサークルとして造られたのではないかという想像をしてみたくなる。佐田京石の場合は、古代の祭祀跡、米神山信仰のための鳥居代わり、経典を収めた経塚(名前の由来ともリンクさせる)ではないかと諸説あるが、決定的な目的は未だに不明である。
「京石」という名であるが、上にある“経典を埋めた場所に置かれた石”という意味の“経石”からきたもの以外にも、“この石の上に立って遠くを見ると、京の都が見える”という言い伝えも残っている。いずれにせよ、その存在だけではなく、名前の由来にも謎が秘められている。
そしてこの不思議な石の遺跡を懐に抱く米神山にも、山頂のあるストーンサークルを始め数多くの巨石遺構があり、さらにその巨石にまつわる伝説が残されている。
かつて神々がこの米神山に都を建設しようと(一説では神武天皇が東征のためにこの地に滞在した折に、神々が提案したとも)、天から100個(あるいは1000個)の石を降らせた。ところが最後の1つというところで穢れを持った者が神聖な場所を汚してしまったために、神々はこの地に都を建てることを断念し、結局数多くの巨石だけが残ってしまったという。
アクセス:大分県宇佐市安心院町熊