サイトアイコン 伝承怪談奇談・歴史秘話の現場を紹介|日本伝承大鑑

血洗池跡 血洗神社

【ちあらいいけあと ちあらいじんじゃ】

『古事記』によると、三貴神(天照大神・月読尊・素戔嗚尊)は黄泉の国から戻ってきた伊弉諾尊が禊ぎをして誕生したことになっている。ところが『日本書紀』では伊弉諾尊と伊弉冉尊による“神産み”の中で誕生した、即ち伊弉冉尊が生んだという設定になっているのである。

恵那山には、この『日本書紀』の内容に基づいて、次のような伝承が残っている。恵那の地名は、伊弉冉尊が御子を生んだ際に出た胞衣(胎児を包んでいた膜や胎盤)を埋めた山という意味で付けられたとされるのである。そして恵那山の麓に位置する血洗池で、伊弉冉尊は産穢を洗い清めたとされるのである。さらに、伊弉冉尊は出産に後に岩に腰を掛けて一息ついたので、このあたりを“安気の里”と呼び、それが現在の阿木の地名となっているという。

血洗池はそこそこ大きな池であったが、土砂の流入によって縮小され、昭和時代には完全に埋まってしまったとされる。昭和の終わりに頃に国道363号線が整備された時に、この池の跡も整備され、近くにあった伊弉冉尊が腰掛けたとされる岩も移し替えられている。

血洗池のそばには血洗神社と呼ばれる神社があったが、現在は少し離れた場所に移設されている。祭神は天照大神であり、安産のご利益があるとされている。

アクセス:岐阜県中津川市阿木字血洗

モバイルバージョンを終了