【ばいりんじ】
日本に仏教が公式に伝来したのは欽明天皇の御代であったとされる。『日本書紀』によれば欽明天皇13年(552年)のこと、また『上宮聖徳法王帝説』によれば欽明天皇戊午年(538年)のこととされる。いずれにせよ百済の聖明王が金銅仏一体・経典・仏具を献上したとの記録が残る。
この百済国王の使節団は、後世の使節団と同じく、朝鮮半島からまず対馬へ上陸したものと考えられる。そのため対馬には使節が日本へ持っていく途中、仏像・仏具を安置するために仮堂が建てられたとされる。この仮堂のあった地に後年開基されたのが梅林寺である。そのことからこの梅林寺は「日本最古の寺院」と称される。
ただこの寺院がいつ頃建造されたのか、また梅林寺と名乗る以前(“梅林寺”の名は室町時代中期の嘉吉年間の記録が初出)は何という山号・院号・寺号であったかは全く不明である。
<用語解説>
◆欽明天皇
509-571。第29代天皇。即位は539年とされる。
◆仏教公伝の2説
『古事記』『日本書紀』という正史においては552年に公伝としているのに対して、欽明天皇即位前にも拘わらず538年公伝の説が取り上げられ、なおかつ有力に傾いている。これは538年を唱える『上宮聖徳法王帝説』では欽明天皇の即位は531年に当たるとされ、第26代継体天皇崩御を、九州で起こった最大規模の内乱である磐井の乱と同年の527年として、政変が起こったため第27代安閑・第28代宣化と欽明の統治が並立してあったとする説がある(531年は『古事記』『日本書紀』における継体天皇崩御の年)。
また552年の10年後には、朝鮮半島にあった加羅(任那)が滅ぼされる事態となっており、いずれにせよ朝鮮半島を巻き込んで内政・外政共に政情不安定な時期に当たる。そのため百済による仏像・仏具の献上も、政治的な色合いが濃厚な出来事であったと推測出来る。
◆『上宮聖徳法王帝説』
聖徳太子の生涯を著した書物。平安初期までには著されたとみなされるが、原本は存在せず、写本が長く法隆寺の秘蔵物として保管されていた。失われた史書を元に記述された部分があると指摘され、『古事記』『日本書紀』とは異なる内容もいくつかある。
アクセス:長崎県対馬市美津島町