【わりいし】
仙台市との境界線近く、七北田川の堤防道にその石はある。目印として残された杉の巨木の根元に置かれている。
かつてこの七北田川はたびたび氾濫し、大きな被害をもたらしていた。そこで堤防を新たに築くこととなったが、うまくいくようにと人柱を立てることにした。昼間は工事をしながら、夜になるとめぼしい人柱が現れるのを待ち受けるという日が続いた。そしてとうとうある夜、何も知らず通りがかった女を捕まえると、工事中の堤防に生き埋めにして人柱にしたのであった。
人柱のおかげか、工事は順調に進み、やがて立派な堤防が出来上がった。ところがしばらくすると、嫌な噂が立つようになった。堤防に女の幽霊が出るという。幽霊はさめざめと泣きながら何かを訴えるようにつぶやいている様子だが、何を言っているのかは分からないらしい。間違いなく人柱にした女が怨みを残して成仏出来ずに現れるのだと噂は広まり、日中ですら人が近寄らなくなってしまったのである。
この噂を聞いた一人の侍が、退治してやろうと名乗り出た。そして小雨の降る夜に、人柱を埋めたという場所へ向かった。案の定そこには人魂が浮かび、女の幽霊が恨めしそうに鳴きながら佇んでいる。しかし全く動く気配がない。侍はじりじりと間合いを詰めながら、腰の物に手を掛けると一刀のもとに抜き打ちに斬りおろしたのである。サッと幽霊も人魂も消え、辺りは真っ暗になった。手応えのあった侍は、幽霊がどうなったのかも確かめもせずそのまま帰ったのである。
翌朝、幽霊を切り捨てた場所へ戻ってみると、そこには一刀両断にされた板碑があった。昨夜侍が斬ったのは、この板碑だったのである。しかしその夜から女の幽霊は現れなくなったという。
“割石”と呼ばれるこの両断された板碑であるが、元応元年(1312年)との年号が刻まれており、さらに斬られたとされる石の断面にも貞享2年(1685年)の年号が追刻されている。おそらくこの人柱の伝説は、この2つの年号の間にあったものと考えて良いだろう。ただ正確な年号も分からず、人柱となった女についてもその身元は全く不明である。
アクセス:宮城県多賀城市新田