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蓑山大明神(太三郎狸)

【みのやまだいみょうじん(たさぶろうたぬき)】

四国八十八箇所霊場の屋島寺の境内にある蓑山大明神は“日本三大狸”と称される屋島太三郎狸が祀られている。この著名な狸にまつわる伝説は数多く、しかも1000年を超える時代に渡って伝えられている。

唐の名僧・鑑真が日本に渡り、奈良へ赴く途中のこと。瀬戸内海を船で移動していると、山頂に光り輝くものの気配を感じ、すぐにその地を訪ねることにした。そこで盲目の名僧を山頂まで案内したのが太三郎狸であったとされる。その後、山頂にお堂が建てられ、多くの僧がこの地を訪れたが、太三郎狸は蓑笠をつけた翁の姿で、彼らを山頂まで案内したという。さらに空海がこの地を訪れた際も案内を買って出て、現在の屋島寺の地に寺院が移されると、空海によってこの寺の守護を任されたとされる。これらの僧との交流によって太三郎狸は学問の大切さを悟り、屋島に狸の大学を設けて、多くの名のある狸が修行を積んだとされる。

平安時代末期には、瀕死の重傷を負った太三郎狸を平重盛が助けたことから平家の味方となった。そしてその滅亡後は屋島寺に残り、年に一度源平の屋島の合戦の様子を幻術を使ってみせたという。その化けぶりは見事で、四国狸の総大将と言われるようになった。また屋島寺の守護神として、歴代の住職が変わるごとに夢枕で屋島の合戦を再現したとも言われる。

江戸時代になると、芝右衛門狸、喜左右衞門狸といった有名どころの狸と化け比べをする伝説が出てくる。太三郎狸が得意の屋島の合戦を先に見せると、相手方は後日に日時を指定して太三郎狸を呼び出す。指定された場所へ行くと、やがて豪華な大名行列がやって来る。見事な化けっぷりに太三郎狸が声を掛けるといきなり「無礼者!」と斬り掛かられ、命からがら逃げ出してしまう。実は本物の大名行列が通る日時を聞き出して、太三郎狸を騙したのである。

さらに江戸時代の終わりになると、阿波狸合戦の遺恨勝負が起こる寸前に仲裁役を買って出て、以降の遺恨を封じるという貫禄をみせる。しかしこの頃に猟師に鉄砲で撃たれて落命したと言われ、その後、徳島に狸憑きとなってさまざまな予言や憑き物落としをしたとされる。

そして明治時代になると、日露戦争の際に中国大陸へ渡って日本軍の味方をしたと言われ、小豆を兵隊に変えて援軍をしたという伝説が残されている。

まさしく妖怪狸の類話パターンのほとんどをエピソードに持つ大物ぶりであるが、現在は、屋島寺の守護神として祠を建ててもらい、狸の習性に倣って夫婦の縁結び・子宝・家庭円満にご利益のある神とされている。

<用語解説>
◆日本三大狸
屋島の太三郎狸、淡路の芝右衛門狸、佐渡の団三郎狢を指す。

◆鑑真
688-763。唐の高僧。戒律を伝えるために来日する。大宰府から奈良へ到着したのが天平勝宝6年(754年)のことであり、屋島での伝説はこの時の話であると考えられる。

◆空海
774-835。真言宗の開祖。弘仁6年(815年)に屋島の北嶺にあった寺院を、現在地である南嶺に移し、十一面観音を本尊とする(太三郎狸はこの十一面観音の守護として寺に仕えることになる)。

◆屋島の合戦
寿永4年(1185年)。平家の陣地であった屋島に対して、源義経が少人数で攻撃して占拠した戦い。これによって平家は四国の支配権を失い、次の壇ノ浦の戦いで滅亡する。

◆太三郎狸の別称
太三郎狸は別名を“禿狸(はげたぬき)”として紹介する書籍や資料が多いが、屋島寺では禿狸の名は使われていない。また禿狸は高松市内にある浄願寺に住む狸であるとされ、その境内に「白禿大明神」として全く別に祀られている。おそらく何らかの事情で両狸が混同されて伝承され、同一の存在と認識されたのではないかと推測できる。また逆に、上に挙げた“太三郎狸”の伝説にも“禿狸”独自の伝説が紛れ込んでいる可能性も高い(特に日露戦争のエピソードがその可能性が高いと思う)。

アクセス:香川県高松市屋島東町

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