【じしんいし】
能登一之宮・気多大社から東に約300mほど離れた場所にあるのが、大穴持像石神社である。主祭神は大穴持神(大己貴神)。気多大社の摂社とされているが、この地区の産土神として尊崇されており、旧県社の社格であった。
この神社の名にある「像石(かたいし)」とは、言うならば、神の降臨の際に出現した自然石であり、一種の磐座とも、あるいは神像に代わるものとも考えられる存在である。この像石とされるものが、神社の鳥居横に置かれている。そしてそれが“地震石”と呼ばれているのである。
地震石とはまさに“地震おさえの石”であり、能登地方に地震が少ないのはこの石のおかげであると言われている。“地震おさえの石”としては鹿島神宮などにある“要石”が有名であるが、要石も元は神の降臨の際に現れた御座石であるので、どちらも実は同じ性格を帯びた霊石であると考えて良いのかもしれない。
ただ、この地震石には奇怪な話も残されている。
『能登志徴』によると、文久3年(1863年)に、海防のためにこの地に派遣されてきた藩士の一人が、石の霊験の噂を聞きつけ、試しにと小便をかけたという。ところがたちまち顔が土気色となって具合を悪くすると、その夜の内に亡くなってしまったという。さらに家督を継いだ息子は、祟りを怖れて幾度も参拝したらしいが、結局家名は傾いたままだったという。
<用語解説>
◆『能登志徴』
著者は森田平次(1823-1908)。加賀藩の下級武士の出身で、明治以降は石川県の役人を務める。郷土史家として数多くの書籍を著している。『能登志徴』も明治期に森田がまとめた著作の1つである。
アクセス:石川県羽咋市寺家町