【ぐほうじ なみだいし】
市川市真間に弘法寺という日蓮宗の古刹がある。高台の上に建立された本堂へ向かう長い石段があるが、その下から数えて27段目の左側にある石だけが、なぜか年中濡れた状態にあるという。この不思議な現象には次のような伝承が残されている。
江戸時代のはじめ、日光東照宮造営のため、作事方御大工頭であった鈴木修理長頼が伊豆より石材を市川に船で運び入れた際に、突然石が動かなくなってしまった。やむなく長頼はこの石材を弘法寺の石段に使ってしまった。ところがその不正が幕府の知るところとなり、長頼はこの弘法寺の石段の上で切腹して果てたという。その時の恨み辛みによってこの石は四六時中濡れたままであり、それ故に“涙石”と呼ばれるようになったという。
ただこの話は史実としては誤りである。作事方として東照宮造営時に当主であったのは長頼の祖父である長次であり、弘法寺の大檀家として石段を寄進したのも長次である。しかしながら、長次が“東照宮造営の残石”を寄進した記録があり、さらに長頼以降の鈴木家が急速に没落している事実がある。おそらくこの伝承は、真間ゆかりの鈴木家の栄華と没落を示すべく作られたと言えるかもしれない。
<用語解説>
◆弘法寺
行基が創建。空海が訪れたことが縁で「弘法寺」と改称。鎌倉時代後期に日蓮宗の寺院となる。
アクセス:千葉県市川市真間