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石手寺

【いしてじ】

四国八十八箇所霊場の51番札所。屈指のB級スポット寺院としても有名であるが、本堂をはじめとする数多くの重要文化財を持つ。

この不思議な寺名であるが、これは遍路の祖とされる衛門三郎にまつわる奇瑞に由来する。

衛門三郎は、巡礼の途中であった弘法大師に無礼を働いたために全ての子を失い、改心して大師の後を追って四国各地を巡り歩く(この行為が遍路の始まりとされる)。そして臨終の間際に再会。大師に望みを尋ねられると、伊予の国主である河野家の家に生まれ変わりたいと言った。そこで大師は路傍の石に「衛門三郎再来」と書くと、それを左手に握らせたのである。これが天長8年(831年)のこと。

それからしばらくの後、伊予の国主・河野息利が男子を授かった。ところが、その子は生まれつき左を固く握ったまま開こうとしなかった。困り果てた息利は、安養寺の住職に祈祷を依頼した。そしてその甲斐あって、男子は手を開けた。手の中には小石があり、そこには「衛門三郎再来」と書かれてあった。この奇瑞を喜んだ息利は、安養寺にこの不思議な石を奉納したのである。そして寛平4年(892年)に、安養寺はその伝承にならって石手寺と改名したのである。なおその後、この男子は河野息方と名乗り、自らの出生を受け入れ、当主として善政を敷いたという。

また国道に面した山門の前には「渡らずの橋」という名も石橋があり、“弘法大師お道開きの橋”として知られ、渡ると足が腐ると言われている。これをはじめ“石手寺の七不思議”があり、衛門三郎再来を書かれた石などが挙げられる。

<用語解説> 
◆河野氏
伊予国の有力豪族であった越智氏の支流。家祖を越智玉澄とする(父の越智守興が白村江の戦いの際に、中国人の娘との間に生まれた子とされる)。息利は6代目、息方は7代目にあたる。
鎌倉時代以降は伊予の最有力御家人となるが、度重なる紛争による弱体化していき、最終的に豊臣秀吉の四国攻めの際に大名として残ることが出来なかった。

◆石手寺七不思議
1.渡らずの橋
2.玉の石(衛門三郎再来の石)
3.蛇骨(湧ヶ淵の大蛇の骨)
4.水天堂の水瓶(潮の干満が分かる)
5.詞梨帝母天堂の石(子授かりの石)
6.湯音石(道後温泉の湯が沸く音が聞こえる)
7.仁王門の大草鞋(触ると足腰の病に効く)
8.香煙(線香の煙を患部に当てると治る)
9.不動石(不動明王の姿が石に浮かび上がる)

アクセス:愛媛県松山市石手

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