【もりさましゃそう】
室積の集落から県道162号を上っていった高台に、市の天然記念物に指定された社叢がある。このあたりは“九ノ辻”と呼ばれ、かつてはここに社があったとされるが、現在は椋の巨木を中心に森だけが残っている。この椋の巨木の根元には石の祠があり、今なお地元の人が丁寧にお祀りをしているが、この社叢には恐ろしい怪異譚が残されている。
享保18年(1733年)の夏。前年の大飢饉によって西国の諸藩では多くの餓死者を出す被害があったが、この室積ではさらに年の初めに大火事が起こり、夏が越せるかどうか分からないほどの状況であった。
そんな折、クノという19になる村娘が隣村の御米倉に忍び入って、籾種1升分ほどを盗んだ。年老いた両親を抱えて一人で家計を支えてきたが、飢えに苦しむ両親を見てやむにやまれず盗みに入ったのであろう。しかし御米倉は藩の命で米を備蓄しておく場所であった。しかも捕まえたのが、この御米倉の管理を藩から任されていた由造という者。怒り狂った由造はクノを折檻し続けて、遂には責め殺してしまう。さらに見せしめとばかりに、顔の皮を剥いで石に張り付けると、九ノ辻で晒したのである。あまりに惨い仕打ちであったが、藩の米を盗んだ重罪であるため、粗末な弔いをしただけで済ませてしまった。ただ幸いにも、クノの両親は近所の留蔵が組のよしみとして面倒を見ることになったのである。
田植えも過ぎた頃、隣村から妙な噂が流れてきた。由造の家の牛馬が立て続けに急死したらしい。さらに由造の本家筋の複数の老人が同時に亡くなり、村の家々の牛馬も次々と変死しているという。これは悲惨な殺され方をしたクノの祟りではないかと言い出す者が現れた。そしてとうとう、クノが殺された九ノ辻で幽霊を見たという者が出始めた。クノの両親を世話している留蔵は、最初は噂を相手にしていなかったが、やはり気になるところであった。
ある日、留蔵は薪を造りに近くの大峰峠に足を運んだ。ところが思うように仕事ははかどらず、日が暮れる頃にはしとしとと雨まで降り出した。「峠から村に戻るには、九ノ辻を通らねばならない」。留蔵はふとクノの噂を思い出した。意を決して雨の夜道を下っていった。そして九ノ辻を通り過ぎようとした時、女のすすり泣きが雨音に交じって聞こえてきた。姿は見えないが、クノの声に違いない。留蔵は思わず立ち止まる。
「……留蔵さん、親の面倒を見ていただいてありがとうございます。今夜、この下の溜池で悲しい死に様をした女の無念を晴らすために出て参りました。……これからどんなことが起ころうとも、決して手出しをしないでください。最後まで知らぬふりをしてください。……もし頼みを聞いてくださらないなら、留蔵さんといえども命をいただきます。お願いします……」
山へ逃げ戻るわけにもいかず、留蔵はがくがく震えながら道を下りて行った。すると反対方向から誰かが道を上ってくる。声を掛けようと少し急ぎ足で距離を詰めた留蔵が、その相手の正体が由造であると気付いた瞬間、暗がりの道にいきなり灯りが点るように白装束の女が浮かび上がった。髪を振り乱してはいるが、紛れもなくクノの姿である。クノは由造に近づき何事かを囁いた。すると由造はその場で着物を脱ぎ捨て、そばの溜池に向かって行く。その背後に回ったクノはいきなり由造を突き飛ばした。恐ろしい勢いで由造は溜池に落ちていった。
駆け寄ろうとした留蔵に向かい、クノは険しい表情を見せた。「手出ししてはならない……」。溜池にはまって正気に返ったのか、由造は助けを求めてもがいている。このままではおそらく由造は溺れ死んでしまうだろう。我慢できず留蔵はついに大声を上げてしまった。
「クノよ、お前の怨みはようわかる。だがそのせいで成仏出来ないと言うならば、儂がどんなことでもしてやる。由造の非道は、儂に免じて許してやってくれ。頼む」
地面に頭をこすりつける留蔵の耳には、またクノのすすり泣きが聞こえてきた。「……恩ある留蔵さんがそこまで言うのであれば、もはや由造の命は取りません。ただ、辻のそばに供養の墓を造ってください。お願いします……」。それだけ言うと、クノの幽霊は闇に溶けていった。
その後、留蔵らによってクノの供養が施され、それから幽霊が現れることはなくなったという。森様社叢の中にある石の祠が、このクノを祀る祠であるとも伝えられている。
<用語解説>
◆享保の飢饉
江戸三大飢饉の1つで、享保17年(1732年)に起こった飢饉。長雨による冷夏とイナゴ(あるいはウンカ)による虫害が重なり、西日本一帯が大飢饉となった。飢民は約260万人、死者は12000人とされる。幕府が大量の米を供出したため米価が高騰し、江戸では初めての打ちこわしが起こったとされる。
アクセス:山口県光市室積市延