【あわたぬきこせんじょう】
「阿波狸合戦」は四国の狸話の中でもとりわけ有名なものである。だが、この事件そのものはさほど古いものではなく、天保年間(1831~1845年)に起こったとされ、また文書としてまとめられたのも明治43年(1910年)に発刊された講談本の『四国奇談 実説古狸合戦』とされる。さらに言えば、全国的に著名となったのは、昭和14年(1939年)の新興キネマによる映画「阿波狸合戦」のヒットによる。
講談や映画の題材として人気を博したのは、狸の世界の話としながらも、義理人情やしがらみが引き起こす抗争という人間臭い内容が大衆受けしたためであると言えるだろう。
小松島の日開野を根城としていた金長狸は、無位無官であるため、徳島の津田浦を根城とする六右衛門狸の下で修行をする。そこでめきめき頭角を現した金長に対して、六右衛門は娘婿になって跡を継ぐよう頼むが、金長に断られてしまう。そのことを根に持った六右衛門は金長を闇討ちするが、取り逃がす。この闇討ちで子分を殺された金長は仇討ちを呼びかけ、逆に徳島へ手勢を率いて攻めようとする。一方六右衛門のところでは、金長との争いを止めようと一命をなげうった娘が自害するが、六右衛門は娘の死に逆上し、全面的な武力行使を決める。こうして阿波国の勢力を二分する戦いが勝浦川を挟んで三日三晩続いたのである。
戦いの結果、総大将同士の一騎打ちとなり、六右衛門は討死。しかし金長も深手を負って日開野にたどり着くも、絶命する。そして戦場となった勝浦川には数多くの狸の死骸が累々とあったとされる。ただ狸同士の合戦を聞きつけて見物していた人の話では、その姿は見えず、火の玉のようなものが飛び交ったり、たくさんの獣が走り回る音が聞こえただけだったという。
現在、勝浦川に架かる勝浦浜橋のそばに「阿波狸古戦場」と書かれた看板がある。このあたりがかつて狸たちが争った戦場とされるが、今ではそれを想起させるものは全くと言ってない。
アクセス:徳島県徳島市新浜本町