【やぐいのみや】
岡山自動車道の岡山総社IC出入り口のすぐ目の前にある神社。鳥居付近に複数の巨石があるのが特徴の神社である。この神社には吉備津彦命と温羅との戦いにまつわる伝承が残されている。
温羅は吉備の地に渡来してきた者であり、製鉄技術をもたらし、その武力を背景にこの地を荒らし回り“鬼”と呼ばれていたという。その暴虐に対して民衆が朝廷に窮状を訴え、それに応えて派遣されたのが吉備津彦命であった。温羅は鬼ノ城を根城にし、一方の吉備津彦命は現在の吉備津神社のある地に陣を張って、両者がにらみ合った。
まず吉備津彦命が矢を放つ。それに応じて温羅が大岩を投げつける。すると矢と岩は両陣営の中間地点でぶつかって落ちる。これを繰り返すこと数回。幾度やっても決着がつかない。そこで吉備津彦命は矢を2本つがえて放つと、1本は岩とぶつかったが、もう1本は温羅の左目に突き刺さり、ここで温羅は劣勢となった。そして捕らえられ、首を刎ねられることとなるのである。
矢喰宮は、この戦いで温羅が投げた岩が落ちたところに建てられた社であり、その名の由来は矢を撃ち落とした岩だと伝えられている。境内にある巨石こそが温羅が投げた岩であり、“矢喰岩”と呼ばれている。実際、矢喰宮のある地点は、温羅の根城である鬼ノ城と吉備津彦命が陣とした吉備津神社の中間地点である。 また左目を射抜かれた温羅は血を流して戦意を失ったが、この流れた血が川となったのが、この神社の目の前を流れる“血吸川”である。
<用語解説>
◆温羅
吉備津彦命の伝承では“鬼”とされるが、おそらく朝鮮半島からの渡来人であったとされる(百済の王族との説あり)。地元の伝説では温羅は古代山城である鬼ノ城を建設し、製鉄・造船・製塩などの技術を吉備地方にもたらしたとされる。
◆吉備津彦命
第7代孝霊天皇の皇子。“四道将軍”として主に山陽方面を制する働きをしたとされる。温羅との戦いは後に「桃太郎」のモデルとなったとも言われ、備中一之宮・吉備津神社、備前一之宮・吉備津彦神社などの祭神として祀られる。
アクセス:岡山県岡山市北区高塚