サイトアイコン 伝承怪談奇談・歴史秘話の現場を紹介|日本伝承大鑑

桐生大炊介手植の柳

【きりゅうおおいのすけてうえのやなぎ】

桐生市東七丁目の公園の真ん中にある柳の大木である。樹齢は約400年、根元回りは5mを超す。(平成25年4月、強風により根元付近より折れたとの報がある)

桐生一帯を治めていた桐生氏は、藤原秀郷流の足利氏の支流とされる(室町幕府を開いた足利氏は源氏の支流)。室町時代から歴史の表舞台に登場するようになる小領主で、関東で対立する古河公方・足利氏と関東管領・上杉氏の間を行き来しながら、所領を拡大させた一族である。

永正13年(1516年)、当主であった桐生重綱は愛馬の浄土黒に乗って、この辺りに鷹狩りに訪れた。そしてその最中に思わぬ事故に遭遇する。愛馬の浄土黒がいきなり倒れたのである。乗っていた重綱も地面に叩きつけられ、その時の傷が元で亡くなってしまう。

重綱の子の助綱は、浄土黒が倒れた場所にその遺骸を埋め、その上に柳を植えた。それがこの“大炊介手植の柳”である。なお浄土黒が突然死に至ったのは、ダイバ(頽馬)神の仕業であるとされている。

<用語解説>
◆桐生助綱
1512-1570。父は重綱(ただし重綱を祖父とし、父を真綱とする系図もある)。桐生氏中で最も傑出した当主とされ、助綱の代に最盛期を迎える。

◆ダイバ(頽馬)神
馬を即死させる風の怪異。緋色の着物に金の髪飾りを着けた少女の姿をした妖怪に擬されることもある。夏の季節に多く、地方によって特定の種類の馬だけが被害に遭うともされる。またダイバに襲われた時は馬の耳を少し切って血を流すと助かるとも、ダイバ除けの腹掛けをすると襲われないとも言われる。

アクセス:群馬県桐生市東

モバイルバージョンを終了