【はちこじんしゃ・のうじょたいしございし】
出羽三山の開山とされる蜂子(はちのこ)皇子は、第32代崇峻天皇の第三皇子とされる。崇峻天皇5年(592年)に崇峻天皇が暗殺された際に、聖徳太子によって匿われて丹後より北陸路を北へ進み、さらに海路を経て由良の浦(現・鶴岡市由良)にたどり着いたとされる。
その後、3本足の烏に導かれてたどり着いたのが羽黒山。そこで聖観音を感得して開山に至る。この聖観音の垂迹神として祀られるのが羽黒大神となる。
この蜂子皇子を祀るのが、出羽三山神社の境内にある蜂子神社である。創建は元和5年(1619年)。仏式の開山堂として建てられ、開山である蜂子皇子の尊像を祀った。その後、明治の神仏分離令によって羽黒山が神社となったことから、蜂子皇子の菩薩号を返上して、蜂子神社と名を改めた。そのような経緯があるため、一見神社のとは見えない建物となっている。
この他にも出羽三山神社内には蜂子皇子にまつわる場所がある。能除太子御座石もその一つで、羽黒山へ登る途中で休憩のために皇子が腰掛けた石であるとか、ここで沓を脱いで昇天した場所であるとか言われている。なお“能除”の名は、人の面倒をよく見てその悩みを取り除いたという意味でつけられたとされ、人の悩みを聞き続けた結果、肖像画にあるような奇怪な顔になってしまったとも伝わる。
また蜂子皇子墓は、東北地方で唯一宮内庁が管轄する陵墓で、上記の蜂子神社改名の際に比定されたという。
<用語解説>
◆出羽三山
羽黒山・月山・湯殿山の三山。いずれも蜂子皇子を開山とする。また皇子の羽黒山での修行が後の羽黒修験道の基盤となっている。
アクセス:山形県鶴岡市羽黒町手向