【にんぎょづか】
日本で最初の人魚にまつわる記録は『日本書紀』にある。推古天皇27年(619年)4月「蒲生河に物有り。その形人の如し」という記述があり、現在の佐久良川に出現したとされる。現在でもこの川の“小姓が淵”という場所には人魚伝説が残されており、3匹の人魚が小姓に化けて暮らしていたという。
この佐久良川を遡った日野町小野には人魚塚と呼ばれるものが存在する。この塚は、小姓が淵に棲んでいた3匹の人魚の1匹を葬ったものであるとされている。この当時、人魚は悪疫をもたらすものとして忌み嫌われており、1匹が佐久良川を遡ってきたのも小姓が淵から逃げてきたのだとも言われる。そしてこの場所まで逃げてきたが、結局、聖徳太子に捕獲され退治されたのだという(あるいは地元の村人によって殺されたのだとも)。
別伝によると、琵琶湖の主である大鯉と投身自殺した女の間に生まれた人魚が醍醐天皇に取り憑いたが、退治されてこの塚に埋められたとされる。後にその肉が「不老不死の妙薬」として珍重される人魚であるが、平安時代中期までは災厄をもたらす禍々しい存在であったと言えるだろう。
<用語解説>
◆小姓が淵の人魚
この淵にいたとされる3匹の人魚は兄と妹とされている。蒲生川を遡って人魚塚に埋められたもの以外については以下の通りとなる。1匹は小姓が淵で捕らえられミイラとされて、蒲生町の願成寺に安置されている(非公開)。もう1匹は通りがかった弘法大師に助けられてミイラとなり、学文路の苅萱堂に安置されている(拝観可)。
◆醍醐天皇
885-930。第60代天皇。藤原時平と菅原道真を左右大臣に置くなどして、延喜の治と呼ばれる親政をおこなう。後に道真を退けた故の祟りに見舞われ、清涼殿落雷事件より体調を崩して崩御する。
アクセス:滋賀県蒲生郡日野町小野