【ものぐさたろうでんしょうち】
『御伽草子』二十三話の一つに登場する「ものぐさ(物くさ)太郎」の話は信濃国から始まる物語である。
信濃国筑摩郡あたらしの郷という場所に、“物くさ太郎ひぢかす”という変人がいた。4本の竹を立てその上に薦を掛けただけのものを家として、何をするでなくただ1日ごろごろと寝転がっていた。
ある時5個の餅をもらい、4個を一度に食べたので、残る1個を弄んでいるうちに道に転がり落としてしまう。取るのが面倒なので、誰かが来たら拾って貰おうと犬や鳥を竹竿で追い払いながら3日間待っていたところに現れたのが、地頭の左衛門尉のぶより。
餅を拾ってくれと頼み、さらに馬から下りて餅を拾わないような怠け者では地頭は勤まらぬだろうと物くさ太郎から言われた左衛門尉は、半ば呆れつつもこの妙な男に興味を持った。どうやって生活しているのか尋ねると、物を恵んで貰って生きていると答える物くさ太郎。ならばと左衛門尉は郷の者に毎日食事を2回、酒を1回与えるように命じた。理不尽であるが地頭の命令なので、郷の者は従った。
それから3年。あたらしの郷から1名京へ上って労役に就く命が国司より出された。郷の者はこの時ばかりと、物くさ太郎に京へ行って仕事をし、嫁を貰ってくると良いと言いくるめて厄介払いをする。物くさ太郎はそれに応じて、京へと上る。
物くさ太郎が住んでいたという“あたらしの郷”とされる場所が、松本市内にある。そしてその一画に「ものぐさ太郎伝承地」という場所があり、物くさ太郎の像が置かれた、ちょっとした公園となっている。伝承によると、ここが物くさ太郎が4本の竹を立てて家として寝転がっていた場所ということになっている。目の前には大きな施設が建っているが、周囲は今でものどかな雰囲気が残る場所である。
京へ行った物くさ太郎は、今までとは打って変わって働き者となるが、嫁取りの話は全く進まない。そこで宿の主人の入れ知恵で、清水寺の門前で“辻とり”をする。そこでむりやり捕まえた女人が侍従の局だが、謎掛けの歌の真意を考えている隙に逃げられる。それでも侍従の局の屋敷を突き止めた物くさ太郎は、屋敷に隠れて対面を果たす。初めは垢まみれで汚い男を蔑んでいた侍従の局であったが、自分の出す謎掛けを解き、さらに当意即妙の返歌をする物くさ太郎を見直し、契りを結ぶ。
そして7日間風呂で汚れを落とし、身なりを整えた物くさ太郎は立派な貴公子然とした男となり、その噂が帝まで伝わり召し出された。そこで出自を尋ねられるが分からないため、調べてみると、仁明天皇の孫であることが判明。帝はただちに太郎の父と同じ信濃中将に任じ、物くさ太郎は侍従の局を妻に迎えて信濃国へ赴いたのである。
その後、物くさ太郎は甲斐・信濃の国司として120歳まで長生きし、穂高神社を造営したと地元では伝えられる。
<用語解説>
◆『御伽草子』
絵入りの物語集で、鎌倉時代末期から江戸時代にかけて様々に出された。23編とするのは江戸中期の享保年間に大阪の版元・渋川清右衛門が編纂したものを指す。実際にはその数はもっと多いとされる。
◆仁明天皇
810-850。第54代天皇。物くさ太郎の父は“仁明天皇の第二皇子で二位の中将”とされるが、史実では第二皇子は宗康親王となっており、信濃国とは全く縁がない人物である。また二位の中将に近い官位を有する皇子は、第五皇子の源多(みなもとのまさる)が正二位右大臣兼左近衛大将に任ぜられているが、こちらも信濃国とは縁がない。
◆穂高神社
長野県安曇野市にある、信濃国三之宮。安曇氏の祖である綿津見命の子・穂高見命を主祭神とする。
アクセス:長野県松本市新村