【よなきいし(いいだ)】
飯田市の市街地から少し離れた場所であるが、交通の便が良く近隣にも事業所などが並ぶ場所でありながら、完全な空き地となっている一画がある。スペースには車が置かれていることもあるようだが、その奥まった部分には全長7mにもなる巨大な岩が野ざらしであり、その上にはお地蔵様が置かれている。これが飯田の夜泣き石である。
正徳5年(1715年)6月、この一帯を豪雨が襲った。その勢いは激しく、天竜川の流域にあった飯田城下では多数の被害があった。この年がちょうど未年にあたったので、この水害を「未の満水」と呼ぶ。特に天竜川と松川では土砂によって川が堰き止められて、低地が大水となってしまった。そして3日目になってようやく豪雨は収まったが、松川の支流であった野底川だけは大きな出水もなかったため、周辺の人々は早速野良仕事などを始めだした。しかしその安心しきった状況の直後、野底川流域を山津波が押し寄せたのである。上流から流されてきた土砂の勢いは凄まじく、野底川が松川に流れ込むあたりにあるこの夜泣き石も、この土石流によって上流から流れてきた巨石である。
不意を突かれた形になったため、この山津波によって多くの者が犠牲となった。その中に、この巨石の下敷きとなって亡くなった子供があった。そしてこの石から子供の泣き声が聞こえるようになった。そのため人々は巨石の上にお地蔵様を祀って、子供の霊を慰めたところ、それ以降は泣き声は聞こえなくなったという。以来現在に至るまで、この巨石は“夜泣き石”と呼ばれ、この地から動かされることなくある。
<用語解説>
◆未の満水
正徳5年(1715年)6月17日から降り始め、18日より豪雨となった。3日後の20日になって雨はやむが、野底川の山津波でさらに甚大な被害が出た。記録によると、飯田城下での被害は、死者32名、流出家屋118軒、堤防決壊2580間(約4.5km)となっている。
アクセス:長野県飯田市上郷城東