【すなふるいづか・おぐりづかあと】
説経節で有名な「小栗判官」の物語であるが、フィクションにも拘わらず、ゆかりの地にはちゃんとそれなりの史跡が残されている。
説経節に登場する小栗判官は、常陸に滞在していた折、相模の郡代・横山の娘である照手姫の美貌の噂を聞き、家臣10名と共に横山の許に押し掛ける。そして小栗は照手姫と結ばれるが、親の横山はその強引さに激怒し、酒に毒を盛って小栗主従を皆殺しにすると、家臣は全員火葬として、小栗一人だけを土葬にしたのである。
冥府に赴いた小栗主従は閻魔大王の裁きを受けるが、10名の家臣はせめて身体が残っている主人の小栗だけでも蘇らせてほしいと懇願、閻魔大王もその殊勝な態度に免じて小栗をこの世に蘇らせることにした、
閻魔大王は、直筆で「この者を熊野本宮にある湯の峰の湯に入れて本復させよ」と書き記した胸札を付けると、小栗の行く末を藤沢の上人(遊行寺の上人)に託した。3年ぶりにこの世に戻ってきた小栗の姿は、手足が痩せこけ腹が鞠のように膨れた無惨なものとなっていた。そのような姿で土中から出て辺りを這いつくばっていると、通りがかったのが藤沢の上人。身に着けていた札を読むと、さっそくこの醜い姿の者に餓鬼阿弥と名を付け、土車をしつらえ綱を引いた。さらにこの者が熊野へ行けるよう、土車を引く功徳を説いて人々に施しを求めたのである。
小栗判官が毒殺され、遺体が埋められたのは「上野原」という場所とされる。藤沢市西俣野にかつてあった小栗塚がその場所に当たるとしている。小栗塚は既に道路建設工事によって消滅しており、その跡に小栗塚跡碑が置かれている。伝承によると、塚の真ん中は常に窪みとなっており、いくら土で埋めてもいつしか窪んでいたとされる。
この碑の道路を挟んだ向かい側、コンクリートの壁に設けられた階段を上ると畑が広がっており、不自然な場所に1本の老木が立っている。よく見るとわずかに土盛りがあるのが分かるが、ここが冥府から小栗判官が蘇生して這い出てきた塚とされ、土震塚と呼ばれている。この一帯には小栗判官にまつわるものがいくつか残されており、また遊行寺に残る小栗判官の伝説では、ここが小栗を毒殺した横山の屋敷があった場所であるとも言われている。
<用語解説>
◆遊行寺に残る小栗伝説
遊行寺は説経節の「小栗判官」でも登場するゆかりの地であるが、ここには説経節とは異なる伝説が残されている。
常陸国にあった小栗満重は、謀反の疑いで鎌倉公方・足利持氏に追われて三河へ落ち延びる途中、相模国藤沢俣野の横山大膳という者の屋敷に滞在した。実は横山大膳は盗賊であり、財宝目当てで小栗を殺そうとした。それを知り窮地を救おうとしたのが、この屋敷で働く照手という遊女であった。しかし毒酒を飲まされた小栗は死に、上野原に棄てられた。14代遊行上人であった太空上人は、夢の中で閻魔大王より小栗を助けよとの言葉を受け、上野原で蘇った小栗を見つけ、熊野湯の峰へ行けるよう段取りをする……という展開となる。いずれにせよ、この小栗塚と土震塚が埋葬と蘇生の伝承地されている。
アクセス:神奈川県藤沢市西俣野