【ひめづか】
“平将門の娘”ほど虚実入り乱れ、光と闇の両極端な性格を与えられた人物はいないかもしれない。仏門に入って熱烈に地蔵菩薩を信仰し、一度は死ぬも地蔵菩薩の加護によって蘇生するという伝説を持つ一方、復讐を誓って妖術を会得し、古城に立て籠もって大軍相手に大立ち回りを演じるという伝説も持ち合わせる。京都の朝廷に反抗し関東で挙兵した経緯もあり“将門の娘”の伝承は関東以北に集中するが、いずれにせよ、父・将門の憤死という悲劇から始まる、流転の人生である。
秋田県の仙北市にも、この“将門の娘”の伝承が残っており、“滝夜叉姫”と呼ばれている。“滝夜叉姫”はいわゆる闇の性格を持つ名であり、父の無念は晴らすため妖術を身に着け、異母弟の平良門と共に下総国に跋扈するも、最終的に敗北して討ち取られたとされる。しかしこの地の伝承では、相馬ヶ原の馬群に紛れて脱出してこの地に辿り着き、“如蔵尼”というもう一つの熱烈な地蔵信仰者の名を名乗り、生涯を終えたとことになっている。
この“滝夜叉姫”を葬ったのが、姫塚である。現在では県道沿いにちょっとした自然公園となっており、整備された散策路の終点に高さ3mほどの円墳がある。またこの墳墓の近くには“地蔵長根”と呼ばれる小さな丘陵地があり、そこが“如蔵尼”と名乗った彼女の終の棲家の跡地である伝わっている。
さらにこの地には他では見られない伝承が残されている。それは“滝夜叉姫”はこの地で5人の子を授かり、そのうちの1名がこの生保内の地に留まり、中生保内村を開拓して“田口”の姓を名乗ったとされる伝承である(現在でも同地区には“田口”姓の家が多い)。つまり“滝夜叉姫”は中生保内村の村祖としても篤く敬われる存在なのである。
この姫塚から南に約1.5kmほどにある中生保内神社は集落の産土神を祀っているが、御神体は“滝夜叉姫”が念持仏として大切にしていた延命地蔵尊であり、田口家が祀ったものであるとされている。この地蔵にも別の伝説があり、昔、苗代掻きの人手が足りない時にふらりと現れた童子が馬の口取りを手伝ったが急にいなくなり、泥の足跡を追ったところ地蔵の前で途切れ、地蔵の足元が泥で汚れていたため、童子に化身して手伝ったのだとされたという。
<用語解説>
◆滝夜叉姫
山東京伝の『善知鳥安方忠義伝』や歌舞伎演目『忍夜恋曲者』で作り上げられたキャラクター的存在。平将門の三女とされ、元は五月姫と呼ばれた。父の敗死後に尼となっていたが、蝦蟇の精霊・肉芝仙に唆され妖術を得た(あるいは京都の貴船明神に参籠して妖術を会得し、その際に“滝夜叉姫”と名乗るようになる)。弟の平良門と共に妖術で仲間を募って相馬古御所に籠もって、源頼信配下の大宅光圀と戦うも敗北する(この場面を歌川国芳が描いた浮世絵が、後に“がしゃどくろ”のモチーフとなる)。
◆如蔵尼
平将門の三女。元の名は滝姫とされる。将門敗死後仏門に入り、奥州の恵日寺(福島県磐梯町といわき市の2ヶ所が伝わっており、いずれもその墓が実在する)で庵を結び、地蔵菩薩を熱心に信心する。『今昔物語集』や『元亨釈書』によると、一度病死するが、地獄で地蔵菩薩に助けられ蘇生するという奇瑞を見せた。最終的に80歳まで生きたとされる。
アクセス:秋田県仙北市田沢湖生保内